王であるキリストの祝日を終え、典礼暦も終盤を迎えました。読まれる聖書も、人生の終焉を想起させるものが読まれています。
第1朗読では、「刈り入れの時が来た。鎌を入れて収穫してください。」と願う。果たして、私は収穫にふさわしい実りを持っているだろうか。同じ箇所で述べられているように、実の入っていない“しいな”であれば、火にくべられてしまう。
教会はこの時期、私の日々の営みを総点検するように、気遣ってくれているから、毎日の営みが、イエス様の望みに副ったもので、収穫にふさわしい実りをもたらしているか、振り返りましょう。
国松神父