以前、サレジオユースセンターで、クリスマス献金を集めていた時の事です。小学校五年生の男の子が、「NAO先生、クリスマス献金を持ってきたよ」と言って、ニコニコしながら渡してくれました。献金袋の中には、たくさんの10円玉がいっぱい!!「たくさん持ってきてくれたんだね。ありがとう」って言うと、その子は「先生、僕ね…お母さんから毎日、おやつ代に10円を貰っているんだけど、そのおやつを我慢して、毎日10円を献金袋に2週間入れたよ。たった120円しかないけれども、貧しさに困っている人を助けられるカナァ〜」って言われて驚愕……!!「君の心のこもった献金を、神様が絶対に大きくしてくれるよ!!」と確信をもって私も答えました。
貧しい人の痛みを共感しようとして、自分自身も食べたいおやつを食べない痛みをしながら献金を貯めていった子供の心は、今日の福音に登場するやもめの心と、まったく同じものです。これから、あちらこちらで歳末の助け合い運動がある事とは思いますが、皆さんは、どんな心を込めて、同時に自分自身も痛みを感じつつ、助け合いや献金に参加していきますか?
今日、典礼で記念する聖セシリアは、「心のうちで神に音楽を奏でていた」聖人と言われています。心のうちで神様に音楽を奏でるっていうのは、イエス様の十字架の痛みに私も共感することで、ハーモニーが作り上げられるに違いありませんから。
FR.NAO
やもめの献金のエピソード。
神様への奉献は「量より質」が大事であることに気付かされます。神様は、自分捧げられたもの、そのものよりも、その態度や心、いかに信頼を寄せているか、信仰に目を注がれます。
この「やもめ」の姿は、マザー・テレサと重なります。ロレット修道会を退会し、一人コルカタの町を歩き始めます。手持ち金は5ルピーだけ。早速4ルピーを貧しい人々のために施し、残りは1ルピーになりました。そこに一人の司祭と出会い、彼から出版の為の寄付を求められました。彼女は、神様がきっと何とかしてくださるだろうと信じて、残りの1ルピーも渡してしまいます。その日の午後、あの司祭が封筒をもって彼女の所にやってきました。ある人物から預かってきたとのこと。封筒の中には50ルピー入っていたそうです。(最初の所持金の10倍の金額・・・)
マザーは、神様からの祝福を受けました。そして、神様に信頼を寄せている限り、いかなることがあっても見捨てられることがないことを学んだのでした。
今日の福音を味わうための調味料として、マザー・テレサの言葉を紹介しましょう。
「大切なのは、どれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです。」
mickey sdb