いつの時代にも「世の終わり」だとか「地球最後の日」だとかそういった話題は尽きないものであり、そしてまた「戦争、暴動、大地震、飢饉、疫病、迫害」などは今までも、そして将来も繰り返し起こるものです。しかし、昨日と今日の福音の中でイエスは何か未来の予言のようなことをして人々の興味をかき立てたり、不安をあおろうとしているわけではありません。その証拠に「あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない」(ルカ21:18)と言われます。
同じルカ福音書に次の箇所があります。「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。」(ルカ12:7)つまり、私たちは自分のいのちをどうすることもできないし、まして他人のいのちや世の終わりなどといったことは到底どうすることもできないわけです。だからこそ逆に「私たちの髪の毛一本さえも数えておられ、決してなくならない」と言われるイエスに信頼することが求められているのです。しかし、目に見えないイエスを信頼することは物質的な社会に生きる21世紀の私たちにとってたやすいことではありません。
「忍耐によってあなたがたは命をかち取りなさい。」(ルカ21:19)忍耐すること・・・何に対してでしょうか?どのように忍耐するのでしょうか?イエスからのこの呼びかけに今日も自分なりの答えを探し求めたいと思います。そして、2000年前に十字架上で忍耐することを身をもって示して下さった方に向かって「忍耐することを教えて下さい。」と今日も祈りたいと思います。
ぼすこ