「今日、救いがこの家を訪れた」(ルカ19,9)。
ザアカイはエリコの町に住む人です。ローマ政府のために働く徴税人の頭で金持ちでした。政府に支払う手数料を上乗せして稼いでいました。このような法外な手数料を取って金持ちになり、他の人々を貧困に突き落していたため、徴税人は不正を行う罪人だと思われていました。仲間のユダヤ人たちから軽蔑されていました。ザアカイは救いの飢え渇きを捜し求める人です。
ザアカイは何よりも実践家です。手に入れたいものは何でしょうか。他の多くの人々と同様に、ザアカイもエリコを通られるイエスを見たいと思いました。よく見るために木に登るほど興味にかられていました。ザアカイを見上げられたイエスの深い愛と赦しのまなざしに出会い、ザアカイが驚いたのも不思議はありません。木に登るというザアカイの一つの行動がイエスの心をとらえました。イエスは彼を見上げて、彼の家に泊まりたいと言われました。
救いは神から無償で与えられる賜物です。しかし、この無償の賜物に私たちが応答することは、とても重要です。イエスとの関係をただ一方通行のように考えるべきものではありません。真の信仰は、神と人々に奉仕するという愛に基づく実践へと導くものです。ザアカイが人々の税金をごまかす生き方を続けるなら、イエスをメシアとして受け入れても何の意味もありません。ザアカイが道を歩きながら金袋から一握りずつ人々に配る様子は、どんな言葉よりも彼のイエスへの愛を表しているのです。
ザアカイの物語は私たちに神の愛に心を開くよう、これから私たちの生き方でその愛を表すように呼びかけています。私たちもザアカイのように日々の生活の中で主イエスを探し求める心を持つようにしたいものです。
Fr. Tadeusz