主イエスのことを考えたり、黙想したりするときに、私たちは優しさや哀れみをあふれるお顔のイメージが心に浮かびますが、それと逆に、今日の福音の中に主イエスのお顔がまったく違います。神殿の境内を商売の場にしていた人々に対して、厳しい眼差しを見せ、強い言葉を発しながら、羊や牛を追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し「わたしの父の家を商売の家としてはならない」と言われました。
神殿は父の家であれば、まして私たちが集まり、お祈りをする教会もそうであります。今日の福音の後半には、主イエスは、ユダヤ人の質問に答えて、ご自分の体も、三日で立て直す神殿であると宣言します。ユダヤ人はご復活の言及を理解できませんでしたが、弟子たちは、復活後、主イエスの語られた言葉の意味を悟りました。
神にかたどって創られた人間の特徴の一つは、その身体は神の家であるということです。わが身体は父の家であり、祈りの場であるという意識を持たなければならないということを、今日、厳しい眼差しや強い言葉でもって主イエスが思い出させておられるのではないでしょうか。
Achille Loro Piana