今日の福音の中でイエス様は、「自分は“泥棒”のように来るよ!」って、御自身を泥棒さんにすらなぞらえちゃいましたねぇ〜(笑)。しかも、イエスと言う泥棒さんは、いつ来るかは分からないけれども、私たちが一生懸命にやっている「神様への忠実さ」という宝物を、御自分のお父さんの所に確実に持っていってしまう泥棒だと言います。さてさて、イエス様が狙われる、私たちの「神様への忠実さ」って言うお宝とは一体何でしょう?
今日の福音箇所では、それを『時間どおりに食べ物を分配する』事だって書いてありますよね!それはきっと、「私たちが今いる“その場所で・その時に・自分のすぐ傍にいる人の必要性”に応えて、神様から戴いた自分の『管理』しているものを分かち合うことかなぁ〜」って思います!だから…イエス様は再臨の時(マタイ25:31〜40参照)に、『あなたは食べさせてくれたよね・飲ませてくれたよね・泊めてくれたよね・訪ねてくれたよね』って…、私が管理しているいいものを分配してくれた事をとても喜ばれる…!しかも「あなたが分かち合ってくれたことは全部、私にしてくれた贈り物なんだから、もう既に私のものである以上、私が持って行ってもいいよね…」って言われるのです。
ただ……『時間どおりに食べ物を分配する』と言う『僅かなことに忠実であった(マタイ25:21・23)』お宝を、父なる神様のところに確実に持っていってしまう泥棒さん!そんな素敵な泥棒さんなら、いつ来てくれてもいいですよ!!!逆に「マラナタ」って言いながら、「もっと早く来て欲しい!」って思っちゃいます。
FR.NAO