福音はルカから「見失った羊の喩」と言うエピソードの主要部分が読まれました。この喩のルカにおける特徴は、喩の枠組みがルカ5:29-32の徴税人レビの家での宴会をモデルにして作られている点です。
朗読からは省かれましたが、15:1-3は、5:29-30に対応しています。「徴税人や罪人が皆、云々、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、『この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている』と不平を言いだした」――「ファリサイ派の人々やその派の律法学者たちはつぶやいて、云々、『なぜ、あなたたちは、徴税人や罪人などと一緒に飲んだり食べたりするのか』。結びの文「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも、云々」――「医者を必要とするのは、云々、わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。
従って結びの文もレビの宴会でのイエスの言葉から借用されています。その主な理由は枠組み無しのこの喩に於いては、見つかった罪人、即ち悔い改めた罪人に対する喜びがイエス自身との関連で明示されていないので、この枠組みによって、「徴税人や罪人」と言う当時の社会で軽蔑されていた人々を受け入れるイエス自身の立場を示す喩になる事を目的としています。
さて、一匹の羊ですが、ルカでは持ち主が見失うのであり、持ち主が責任を持って探し出すので、この喩は教会の牧者の在るべき姿を示しているといえます。マタイの並行箇所では羊が迷いだすので、教会から迷い出る信徒を指して居り、迷い出た信徒が回心して教会に戻ると言う事が言われています。
飯田徹