今日は、「貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない」という言葉に目を留めてみましょう。イエスはいつも「誰と」一緒にいるわけではない・・・と言われているのでしょうか。当然「あなたがた」です。日本語では、主語が「貧しい人々」および「わたし」になっていますが、原語では「あなたがた」が主語になっています。行動の主体は「あなたがた」であり、これは「わたしたち」をも含めた「あなたがた」であると言っていいでしょう。つまり、わたしたちが仕える対象としてイエスと貧しい人々とがあり、時々は貧しい人々だけになる・・・ということです。
イエスに仕えることを望む人は教会の中に溢れていますが、同様の熱意で貧しい人々に仕えたいと望む人になると、いくらか数が減ってしまうような気がします。今日のイエスのことばには、その、減ってしまった人々に対するメッセージが含まれています。イエスが私たちと一緒にいてくださらないように見えるときがあるとしたら、それは、イエスが貧しい人々の中に隠れて、わたしたちが訪れるのを待っているからです。
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