「論語読みの論語知らず」という格言があります。<論語を読んだが、内容を理解していない人>、転じて<知ったような顔をしているが物事の本質を理解していない>ということのたとえです。
この格言の表現方法を用いるならば、まさに今日のヨハネ福音書に登場する最高法院の人たちは「聖書読みの聖書知らず」であったといえるでしょう。彼らはたしかに聖書の知識はあったはずです。しかしそこに流れる神様の心をつかんでいなかった。神の御心を重んじていなかった。それが、主イエスのなさること語られることと、聖書の中に神の言葉として流れているものの響きが全く聞こえなかったことに繋がるわけです。
このことは私たち神父や信徒にとっても他人事ではありません。新旧聖書や教理の知識もそこそこあり、イエス様のことを頭ではわかったつもりでいても、実際はイエス様のみ心を全くわかっていないのではないか、そのことを肝に銘じたいものです。
M.M.Joseph