「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配していたのです。」という母マリアのことばから、ここではお父さんと呼ばれているヨセフの存在を確認することができます。
すべての福音書を見渡してもヨセフの姿がほとんど記述されていないことに気づきます。さらにヨセフの姿は聖家族の関連でだけ見ることができ、あたかも他の彼の姿は必要ないかのようです。ヨセフは目立つことのない隠れた存在です。
私たちは社会の中で隠れた存在になることを受け入れません。人目につくようになること、人から賞賛されることが人としての存在価値を高めると信じているからです。そのことに心を奪われると大切なことを見失ってしまうのが人間でもあります。
ここでの大切なこととは自分自身です。神様に日々養われている自分のことを忘れてしまうことです。自分と向き合い、神様とつながっている自分のことを見つめるためにも、ときに人は隠れる必要があります。隠れて自分の姿を見ることです。
福音書は私たちに必要な自分自身と向き合うことの大切さをヨセフの姿を通して教えてくれています。イエスさまが立派に成長されたのは、ヨセフがきちんと自分の役割を果たしてくれたおかげです。目立つことなく役割を果たすためにつねに自分と向き合ったヨセフの模範に私たちも倣い、一人ひとりが神様から与えられた役割を忠実に果たすことできるように心がけましょう。
T.K