ねたみ。これはどんな人間にも少なからずある感情だと思います。ヨセフの兄弟は父イスラエルがヨセフを誰よりもかわいがることに対してよく思わず、「ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」のです。これが一つのねたみです。ぶどう園の農夫も地主であるぶどう園の主人の財産にねたみを覚え、略奪しようとして主人の息子までも殺すことになります。人身売買や、殺人という行いそのものも誤りです。しかし実際に売られたヨセフや殺されたぶどう園の主人に近い人は何も悪いことはしていません。ヨセフをかわいがったのは父イスラエルであり、ねたみの原因を作っているのはイスラエルです。福音の場合はねたみの原因と考えられるのはぶどう園という財産です。それなのに、ねたみは原因に向かっていません。これも不思議です。
ねたみを持っても何もよいものは生まれないでしょう。となれば、ねたみから離れた方がよいのですが、そう簡単にはいきません。その結果が戦争や争いだと思います。 平和のためへの働きとはなんでしょうか。それはありのままを受け入れること、それを神様にゆだねること、こうすることかもしれません。 なかなか難しいことではありますが、この恵みを神様に願って行くようにしたいと思います。
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