「恵まれた方マリア、主はあなたとともにおられます。」
救い主イエス様を宿す召命をいただいたマリア様は、その使命に相応しくあるために罪の傾きを免れるという恵み、人類に約束された救いの完成の先取りという「特権」をいただきました。
第2朗読のパウロの「神 はわたしたちを愛して、ご自分の前で聖なる者、汚れない者にしよう と、キリストにおいてお選びになりました。」という言葉は、それが神様の計画であったことを語っています。しかしそのマリア様は、通常考えられるような「特権」というものとは全く関係ないような人生を歩まれました。
そもそもマリア様の生涯はひっそりした、全く目立たないものであったようです。ユダヤの片田舎で生活されたマリア様に対して、生前いったい何人の人が彼女の偉大さに気づいたでしょうか。さらに彼女の人生は常に不透明で、時として理不尽に感じられるような ものでさえありました。生命の危険から異国の地に逃れて暮らし、伴侶に先立たれ、その上、息子の惨い死にも立ち会わなければなりませんで した。これらがマリア様に与えられた特権の結果でした。現代社会の中で「特権」と呼ばれているものが約束する「安定」、「名誉」、「繁栄」とっ たものとは正反対のものです。そしてそのこと自体が、神様のお考え、神様の眼差しが私たちのものとは別のものであることを示していると考 えられます。
私たちは、現代社会の中で「効率」「影響力」といった物差しでつい物 事を判断してしまいます。そうした中で神様が私たち信仰者に何を求めておられるのかを忘れてしまっているのではないでしょうか。神様は、有名な人を招いて何千人もの人が集まる大会の上にも、わずか2、3家 族が訪れる小さな町の教会の上にも同じようにこころをかけてくださっ ていると思います。
Daniel