断食のあり方について、イエスと断食を非常に重んじていた人たちとの間に問答がありました。彼らは、イエスと弟子たちに対して断食を守らないと言って非難します。けれども、それに対してイエスは、厳しい口調で反論されました。なぜなら彼らは、断食を非常に重んじるあまりに、人間の内面を軽んじていたからです。つまり、歪められた断食の捉え方をしていたということです。
そしてイエスは花婿のたとえをもって、「花婿がいる間、婚礼の客たちは断食するだろうか」と言われたのです。これは婚礼の主役である花婿をさておいて、断食を行わないように、神であるイエスご自身を花婿にたとえているのは、断食は神に向かって行われるものであって、神が優先されるべきもので、神を無視して自分のためだけに行われるべきものではないということです。
断食という一つのわざ、あるいは行為を重んじる人というのは、極端な場合、断食さえしていれば他のことはどうでもよいとか、あるいは、いろいろな欠点があっても断食をしているから正しいというような考えを持ちがちです。
けれども断食などの犠牲の目的は、神と人に心を向けることにあります。ですから、そのために自分の内面を見つめる必要があるのです。人間は内面を見つめることによって、自分の愚かさ、足りなさ、力のなさ、あるいは醜さを知ることができます。そして、そこから人間は、神にすべての期待と望みを置くようになっていくのだと思います。ですから、このような態度というものが人間にとって、最も大事なことだと思います。
NICCHI