先日、あるお店で、<つもりちがい十カ条>という文を目にしました。
「高いつもりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位
深いつもりで浅いのが知恵 浅いつもりで深いのが欲望・・・・」
上の<つもりちがい>を当てはめれば、弟子たちと同様、わたしたちも、イエズス様のことをかなりわかったつもりでいても、全くわかっていないのかも知れません。
17節から18節にありますように、イエズス様は弟子達に厳しい言葉を投げかけられます。「まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。見えないのか。覚えていないのか」。わたしが二度もパンの奇跡をした時に、あなたがたは、いったいなにを体験したのか。何を見たのか。何を聞いたのか。
いったい、弟子たちは何を見損ない、何を聞き損なったのでしょうか。
パンの増加の奇跡はマルコ6章にもありますが、そこで、イエス様は「群集がかわいそうだ」と語ってパンを増やされるのです。「群集が可哀想、不憫だ」というイエス様の深い慈愛を分かってもらいたいというイエス様の呻きを察する必要があります。
主イエスはここで尋ねておられます。そして、イエス自身の姿が真実に見えない時、あなたがたもファリサイ人の仲間と同じではないかとわたしたちに問われるのです。
M.M.Joseph