「『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あ なたたちはそれを強盗の巣にした。」
「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」 このイエスの言 葉はイザヤ書57章からの引用です。また「強盗の巣」という 表現はエレミヤ書7章でも神殿について用いられています。
神殿の本来あるべき姿は祈りの家であるが、人間たちの都合に よって強盗の巣のようにしてしまったということなのですが、この 状況は旧約時代にすでにエレミヤによって語られていました。
この状況は現在の私たちの聖堂ではどうでしょうか。「強盗の 巣」ではなくてもイエス様のおっしゃる「祈りの家」になっている でしょうか。またイエス様のおっしゃる「祈りの家」とはどういう ものか理解できているでしょうか。
ここにも神様と私たち人間の思いの違いがあるからイエス様が上 記のようなことをおっしゃったのだと思います。私たちが神様の望 みに応えることができるように、祈り求めたいと思います。
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