神にとことん信頼しなさい――。昨日15日の福音箇所はそのような含みを持たせて終わっていて、今日の箇所でもイエスは同じようなメッセージを繰り返します。「心配することはない」と。根拠は至って単純で、人間イエスを味方につけたからです。人の子を自分の仲間だと公に言い表す者は、人の子も神の天使たちの前でその人を仲間だと言い表すのです。
神の霊の力がこの人の子のうちに現されました。人間イエスは聖霊の力によって、神と常に一致し、神のみ旨を行い抜き、十字架の苦しみのうちにあっても神に信頼し通し、ついには死んでも復活して生きる者とされました。人間イエスは聖霊に完全に満たされる者となり、そのイエスにつながる者は誰でも同じ霊を受ける者となります。神はすべてのもの一切をこのイエスの足元に従わせたとあります。人間にそのような力を与えたもう神とは一体なんというお方でしょうか。わたしたちにキリストと同じように力を与え、わたしたちを復活して生きる者としてくださる聖霊とはなんと偉大な方でしょうか。
第一朗読のエフェソの教会への手紙が教えるには、聖霊に満たされたこのキリストは常に教会と結ばれて一体となっています。つまり教会と結ばれているわたしたちには、その頭であるキリストを通して必ず聖霊の力が注がれているのです。手紙は、その聖霊がわたしたちをどのようにしてくださるのかも教えてくれます。霊は、神を深く知ることができるようにし、心の目を開いてくださり、わたしたちに与えられた希望は何であるのか、どれほどの栄光に輝くものを受け継ぐのかを悟らせてくださり、神の力がどれほど偉大なものであるのかを悟らせてくださるのです。そして確かにわたしたちは、その神の偉大な力をイエス・キリストのうちに見た者たちであります。神の力を知っているわたしたちは、イエスの言うとおり、何も心配することはないのですね。
今日任意でお祝いされる聖マルガリタ・マリア・アラコックが広めたイエスの聖心の信心は、この点、大いに示唆を与えてくれるものではないかと思います。
DAISUKE