神の存在を信じる、永遠の生命を信じる、イエス・キリストが神の子であると信じる、このような信仰に至るためには、私たちの理性の力だけでは不可能です。私たちが理性で合理的に理解しようと努力しても、このような信仰に至ることはできません。
イエスがどんなにしるし(奇跡)を行っても、それに対して心が開かれていなければ、イエスがキリスト(メシア、救い主)であるという信仰には至らないのです。
真の信仰に至るためには心の開きが必要です。それでは心を開くためには何が必要なのでしょうか。それは最終的には私たちの自由意志の問題になってくるのです。理性でもなく、感情でもなく、私たちかイエスという方を救い主として受け入れるという意志が必要なのです。自分で見なくても、確認できなくても、イエスの言葉を受け入れ、イエスを救い主として受け入れる、というところに信仰の真髄があるのではないでしょうか。
鈴木英史