タラントン銀貨のたとえ話です。このたとえは、私たちが神の審判のときまでに、どのような姿勢で生きるべきか、ということが問われているものです。
ここでタラントン銀貨にたとえるものは何でしょうか。神から与えられた才能でしょうか。命でしょうか。あるいは恵みでしょうか。様々なものが考えられるかと思いますけれども、今、私たちがしている仕事、あるいは取り組んでいる事、それらすべてのものが神から私たちに任せられたものと考えるならば、僕に預けたタラントンと言えるでしょう。ですから、主人である神は、どんなことでも任せられた事に対して、私たちがどのような姿勢で取り組むか、ということを求めていると思います。
5タラントンと2タラントンあずかった二人の僕は、それを倍に増やしています。増やすという意味は、任せられた事を忠実にそれも喜んで果たすことでもあります。忠実に喜んで果たすためには、好きだから、嫌いだから、合うから、合わないからといった理由は必要ありません。
土の中に埋めて放置した僕は、任せられたことを無駄にしてしまう人の象徴だと言えます。仕方がないからやるとか、義務だからやる、といった心には、喜びはありません。
タラントンのたとえから、神が私たちに求めているのは、「忠実」と「喜び」という姿勢です。それはどんなことにおいても、神の前に忠実に、喜んで果たすことが大事だからです。
NICCHI