夜半: イザヤ 9/1-3,5-6 テトス 2/11-14 ルカ 2/1-14
12月は昔から「師走」と言われているように、本当に忙しい1ヶ月だと感じています。「忙しい」とは漢字から分かるように「心を亡くす」と書きます。
さて、今日の福音書はイエスの降誕の場面です。福音箇所に「マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである」とあります。想像するに、ヨゼフとマリアは臨月の状態で住民登録をする人々でごったがえすベツレヘムの町を巡り歩いて、宿探しをしたのでしょう。他の人々も自分の宿を確保するのに精一杯だったかもしれません。そして宿屋のほうでも、忙しさの中でごくごく普通の旅人であったこの若い夫婦に気を留める余裕はなかったかもしれません。そのような現状の中でイエスは神の独り子でありながら、きちんとした部屋ではなく、おそらく動物たちに囲まれた中で生まれてきたのでしょう。
私たちは今宵、イエスを迎えます。神の独り子をどのように迎えるのでしょうか?忙しさのあまり、自分の近くにいる助けを必要としている人こそが私たちが迎えるべき主イエスであることを見落としてしまうかもしれません。「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」(マタイ25章40節)
ぼすこ
早朝:イザヤ 62/11-12 テトス 3/4-7 ルカ 2/15-20
さて、24日の晩まではクリスマス一色だった街の風景も、25日になると一変します。商店街やショッピング・センターでも、クリスマスの飾りつけは一掃され、新年を意識した飾りつけに変っています。これを、クリスマスの本質を理解していない人々の“仕業”と言って嘆く向きがありますが、どういったものでしょうか。人々の無理解を嘆くだけならまだしも、「クリスマスはクリスチャンの祭りなんだから、信仰を持たない人々には関係の無いことでしょ!」とばかり、不快感を表す“信仰者”の態度を極稀に見かけますが、残念でたまりません。このような態度を取る人は、きっと、キリストがクリスチャンのために来たと勘違いしているのでしょう。
そうではありません。キリストは“クリスチャンではない人々”のために来ました。主が来られたとき、クリスチャンは一人も存在しなかった・・・ということを思い出しましょう。主との出会い無くして、どうしてクリスチャンになれるでしょうか。そして、今の時代、人々に主を紹介するのは実に私たちの使命に他なりません。クリスマスの本質を理解しない人々が大勢いるとしたら、それは私たちの責任です。さあ、出かけていってキリストを紹介しなさい!
eno