今日の福音の中でイエス様は、中風に病む人を連れてきた「その人たちの信仰を見」られますよね……。連れて来た人たちの信仰っていうのは、“他人の痛みを自分の痛みとして受け取りつつ、神様の慈悲に心からすがる”という信仰をもった人々です。仲間が苦しんでいるのを黙って見ていられなかったから、いてもたってもいられずに、イエス様のもとに運んで来ちゃったんですね。「イエス様は神様だから、必ずや、私たちの“この病気に喘ぐ人”への思いを汲んで治して下さる」と固く信じて行動した、とってもやさしさと信仰に溢れた人たちです……。だからイエス様も「その人たちの信仰」と愛の実行力にそのまま応えられるんですよね。
それに対して、「病気が治ってよかったね!」「あなたも、神様から愛されている大切な人なんだよ!」って、群集も律法学者たちも誰も言わない……。しかも律法学者って、当時にあって、自他共に認める「善人」達でしょう!?!?……人としても・宗教を生きる上でも立派な模範生、知的にもエリートで優等生、社会人としても、とても偉い常識人ですよ!それが、この態度です。それに群集も癒された出来事に驚くだけで、この人の快気を喜びもしない!癒された人に対しては、あたかも無関心かのようです。
私達が人として生きる上で、本当の意味で「善を為す人」ってどういう人の事を言うのでしょうか?立派な模範生って、どんな行動をする人の事でしょうねぇ〜?本当のエリート・優等生って、どんな事をよく知っている人の事を指すのでしょうか?常識人って、どういうセンスを持った人の事なんでしょうね?そして、今の私たちは自分の関心事ばかりを追って、物事の本質や、人の痛みや気持ちに無関心になっていませんよね???
今日の福音と関連付けて、上記の問いかけへのヒントとして、次のイエス様の言葉を、よく味わいましょうね。「多くの罪が赦されたのは、その人が多くの愛を示したことで分かる。赦されることの少ない者は、愛する事も少ない(ルカ7:47)」
FR.NAO