神も富も人間を幸福にするものと考えられます。
富を得るためには、働くことも必要ですが、大きな富を得るためには自分の良心を殺して、私利私欲に走らなければなりません。多くを得たとしてもさらに多くを求める欲望が起こります。獲得した富を増やす努力も必要ですが、それがなくなることも警戒します。富を中心に生きることしかできません。そこには何ものをも入り込む余地はありません。
昨日の箇所には、富のある所に「あなたの心がある」とイエスは言いました。こういう人の心はどんな心なのでしょうか。本当に生きているといえるのでしょうか。本当に幸福なのでしょうか。
神を求めることは、神に向かって歩むことです。神が全てです。神の言葉を生きることが神と共にいることです。神と私の間には様々な社会があり人がいます。そういう社会や人を介して、私たちは神を感じ、神に生きるのです。あえて自分を殺すことはありません。様々な欲望と闘うことがあるかもしれませんが、平和に満ちた日々を送ることができます。
神と富、どちらも幸福への道ですが、心が明るく、目が澄んでいる世界はどちらかは自明のことです。何も恐れることはありません。
主よ、全てを委ねて歩むことができますように、弱い私たちを導いてください。
POOH