現代の日本人はたくさんおいしいものを食べることができます。ある程度の金額を出せば、自分が欲しいと思うものを食べることができる、世界でも限られた国です。しかし、満腹することができても、毎年3万人もの人が自殺する国でもあるという非常に皮肉な現実も一方であります。
今日の福音で群衆はイエスに「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言っています。彼らが求めているパンとは一体何でしょうか?もし彼らの動機が「パンを食べて満腹する」という、私たちで言えば「生活が豊かになり保障される」ということであって、イエスがその暮らし向きを良くしてくれるリーダーに過ぎないとすれば空しいものです。しかし、実は現代の私たちも目先のことにとらわれて、イエスが言われる「わたしが命のパンである」という言葉の深い意味が見えなくなってしまっているかもしれません。「私にとってイエスとはだれであるのか?」この問いにはっきりと答えているのが「わたしが命のパンである」というイエスのことばなのです。
イエスを私たちの中に頂くことこそが聖体拝領であり、イエスは私たちと共におられる方であるということです。そこには目先の満腹感のあとに襲ってくる空しさや孤独感はなく、イエスと共にいるという深い喜びがあります。
「信仰とはイエスとの生きた交わりである」という言葉を以前耳にしたことがあります。わたしたちが、目先の満腹感ばかりを求めるのではなく、朽ちることのないイエスとの生きた交わりを求めていくものでありますように。
ぼすこ