祝祭日・記念日 固有の福音朗読

A年・B年・C年 共通
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朗読者:石川裕美
32      8月6日 主の変容 祝 A年 マタイ 17・1-9 B年 マルコ 9・2-10 C年 ルカ 9・28b-36
 
A年 マタイ 17・1-9
 
 「愛する子」。神様の声が書き留められています。すべての人(子)が必要とし、求める言葉ではないでしょうか。
 
 「愛する子」。そのはずなのに、悲しいことに、時にある子供は「あんたは、じゃま」、「いちいち付きまとうな!」と親から拒否される言葉、あるいは感情を浴びせられてしまうことがあるようです。するとその子は「僕は悪い子、わたしはいらない子」と自分を責めて自己拒否・否定が始まります。人生における最大の罠にはまって行ってしまいます。
 
 「愛する子」。この言葉によって人は、神と人と自分を愛する者になっていけるのです。神様から「愛する子」と呼ばれたイエス様が私たちに注がれるメッセージも、「あなたは神様に愛されています」という一言に尽きます。
 
 「愛する子」。呼びかけられる神様のこの声がすべての人に届くように祈りたいと思います。主の変容の祝いを通して、私たちの変容も実現していくように共に祈りましょう。
 
mickey sdb
 
 
B年 マルコ 9・2-10
 
 今日は「主の変容」の」祝日です。この聖書の個所は四旬節の第二主日読まれます。今日祝われるのは、変容はと密接につながりがある、苦難、十字架という関連でこの日になりました。すなわち「十字架の称賛」の祝日の四十日前の今日が、古い伝統に基づいて制定されたのです。十字架上の死の後の輝かしい姿は、わたしたちの死後の姿の前兆なのです。
 
 この福音が書かれたころ、十字架にかかって死ぬということは、愚かで、つまずきであるという風潮があったのです。死の後の栄光なんて考えたくもないことでした。
 
 ですから、イエスが苦難の道を歩み始める前に、弟子たちにお見せになった表現しがたい美しい姿を書いたのです。わたしたちの苦難に満ちた人生をイエスとともに歩むなら、きっとこのような姿に変えられるのです。それには、一つの条件があります。「これに聞け」、イエスのことばに耳を傾け、それを実行に移すことです。
 
 
 
C年 ルカ 9・28b-36
 
 「栄光に輝くイエス」が傍にいらっしゃるのに、弟子たちは「雲に包まれて」恐れ、その時に『これはわたしの子、これに聞け』という声を聞いた。つまり、弟子たちは、復活後のキリストの姿を先取りして見たのである。
 
 今日の『叙唱』は「キリストは、人々が十字架につまずくことのないように、選ばれた弟子たちの前で栄光を現し、その身体はまばゆい輝きに満たされた。こうしてキリストのからだである教会も、十字架の道によって栄光に至ることが示されました」と祈る。
 
 イエスは1つの罪さえも犯してないのに十字架上で殺された。それは、全人類を救うという御父の御旨を果たすため、人を愛するがためであった。しかし、大預言者と信じて期待していた人々にとって、イエスの死はつまずきとなった。
 
 「栄光に輝くイエス」が傍にいらっしゃるにもかかわらず恐れる弟子たち、後にイエスが苦しみを受け、十字架につけられる姿を見るならば、どうなることだろうか。イエスは、受難に先駆けて、この栄光に輝く姿を示された。それは、師としての弟子を想うイエスの優しさではなかろうか。
 
イエスが十字架につけられる時、弟子たちは一人残らず、イエスの傍から離れた。同じように殺されるのではないかと恐れて。教会の頭となったペトロでさえも、イエスのことを知らないと言って、イエスのもとから去った。しかし、復活したキリストに出会った弟子たちは、師に力づけられ、死をも恐れずに、キリストを宣べ伝えた。
 
 「栄光に輝くイエス」、この復活したキリストを見失うことなく、キリストのからだの一部としてしっかり歩んでいく時に、わたしたちも確かな幸いを得るに違いない。
 
秀昭
 
 
 
 

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Last updated: 2014/10/13