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四日市だより 53号




53号


巻頭言

司祭叙階式

北海道現地研修

もう会えない修学旅行

敦賀合宿

高松合宿に行って

サマーキャンプ!

その時歴史が動いた

野尻湖 フォ~♪

野尻湖から学ぶサレジオ会の精神

初めての帰省

ヴェェェェェェェェェトナム!!

『闇をてらす足おと』を読んで

『生かされて』を読んで

~東京支部への旅~

○○と私

編集後記




巻頭言

六感をつかって

院長 濱崎敦

雲仙にある殉教地に志願生たちと一緒に巡礼に行きました。そこは観光ホテルが建ち並び、そのためか温泉もかなり枯渇していて少なくなっていました。それでも地下からゴツゴツと熱湯が沸き起こり、煙があちらこちらから立ち昇っていました。歩いていた遊歩道も手で触ると地熱を感じました。ここで、1627年から5年間、パウロ内堀作右衛門ら16人の仲間をはじめ、多くのキリシタンたちが雲仙の地獄責めの拷問をうけて殉教していきました。その場所に行って立ち、初めて地獄責めの拷問の恐ろしさとその苦難にもかかわらず信仰を捨てなかった殉教者たちの熱い想いを少しでも体感することができたと思います。一緒に行った志願生たちも「すげぇなぁー。俺たちには転ばないなんて絶対無理だ!」と口々に言っていました。

「理解する」とは英語で“understand”と言います。「under下」に「stand立つ」いうことです。つまり、本当に理解するためには、頭だけでは理解できないことがたくさんあるということなのでしょう。

 教育問題はいつの時代においてもいろいろな課題がありますが、現代の一つの問題は、子どもを「理解する」ことをあまりせず、分析してしまうことにあるのではないかと思います。

 「心理学的にどうのこうの、社会学的にどうのこうの……」という具合に分析して、批評をたれることは多いですが、その子一人ひとりを「物語れる」教育者は少ないのではないでしょうか。子供の分析は、子供と直接関わらなくても傍からみてできるかもしれませんが、その子を物語るためには、その子どもと一緒に、あるいは子どもの下に立って、一緒に体験しないと語れないと思います。

 理解するには五感だけでなく、もう一つ加えて六感を使うことが大切だと思います。六感とは、眼、耳、鼻、舌、身、意です。最後の「意」はどんな感覚なのでしょうか。「意とはからだのどこにあるというものではなく、全身にあります。からだにもこころにも頭にも、人間全体に意があるのです。この人間全体に備わっている『意』という感覚で味わう『味』のことを『意味』と言います( 親子で学ぶ神さまの教え『ふっかつ―教会―』)」 。

この夏、志願生たちはいろいろな体験をしました。頭だけで理解することなく、体全体を使って本当の意味を味わってくれたらと思います。多くの人と出会い、自然に触れ、子供たちと関わり、実際に「意」を味わうこと。こういった体験をすることができたならきっとさらに大きく成長することができるでしょう。

信仰も同じだと思います。信仰とは頭だけで理解するのではなく、神の愛を体験したことを信じることです。「神さまはどこから取り入れ、どこで味わい、どこに収めればいいのでしょうか。……人間全体で取り入れ、人間全体で味わい、人間全体で収めるのです」(同上より)。毎日、イエスはわたしたちにからだそのものを与えてくださっています。つまり、聖体というかたちをもってすべてを与えてくださっているのです。私たちに体当たりしてくだるイエスと神の愛をしっかり受け止め、全身全霊で味わえる毎日をおくりたいものです。



叙階式に参加して

司祭叙階式

                           中二  SK

 6月2日にエドモンド助祭の司祭叙階式がありました。場所は四日市教会でした。たくさんの信者さんが集まり、叙階式が行われました。僕は、エドモンド神父様に道徳(宗教)を教えていただいています。叙階式では志願生が一部伴奏を担当しました。伴奏者は、ベースを担当している兄がバスケットボールで足を捻挫したため、Tさんに交代し、ギターはHさんになりました。さて、叙階式が終わり、エドモンドさんが司祭になりました。その時エドモンドさんは泣いていました。やはり、司祭になるというのはとても嬉しいことなのですね!

 そして叙階式が終わると、マリア館でパーティーがありました。そこには海星中学・高校の田中校長先生をはじめ、たくさんの先生方がいらっしゃいました。そしてやはり僕達は叙階のお祝いと、日頃お世話になっていることの感謝をこめて、コーラスを披露しました。曲は、「Misericordias Domini」、「Ubi caritas」でした。皆さんが感心してくれて、とても嬉しかったです。そして、パーティーには、フィリピンの人達もけっこういました。途中、フィリピンの女性達が、歌を三曲くらい披露してくれました。歌詞の意味は僕には何もわかりませんでしたが、とてもいい曲だなあと思いました。こうして、エドモンドさんの司祭叙階式が終わりました。

僕は司祭になるというのはとても素晴らしいことだなあと思いました。浜崎神父様が、「司祭になるということは色々大変なこともたくさんある」とも言っていましたが…。

エドモンド神父様、これからも司祭としてがんばってください。僕はエドモンドさんが泣いたときに僕も少しもらい泣きしました。あの後、「僕が司祭になったら、やはり感動するのかなあ」と思いました。僕はこの司祭叙階式を通して、司祭になる喜び、司祭になるというすばらしさ、そして、自分の人生全てを神様のために捧げることの素晴らしさを学びました。最後に一言、

「司祭叙階、おめでとうございます!」

      

研修旅行の思い出

角丸四角形: 海星では毎年、中3は北海道に、高2は長崎に研修旅行に行きます。誰よりも旅を満喫してきたという自信にあふれる二人による報告です。

北海道現地研修

                              中三  KT

 僕達が通っている海星中学校は、6月5日~6月9日まで北海道に現地研修に行きました。その中で、思い出に残っていることや、失敗したことを書きます。

 1日目、僕達中3がこの日学校に登校するのは、900でしたので、みんなが学校へ登校した後、僕とM君は、ゴロゴロしながら登校の時間を待っていました。すると、バスが予定より早く学校に到着したことに気付き、急いで登校しました。その時僕は、ジーパンの後ろのポケットに財布を入れていました。急いで着替えて登校したため、ジーパンごと財布を忘れてしまったのです。その事に気付いた時には、もう学校に戻れる距離ではなかったので、先生に報告もせずM君からお金を借りて現地研修に行くことになりました (先生、黙っていてすみませんでした)。 北海道までは、中部国際空港(セントレア)から1時間半ほどで着きました。北海道に着いてまず思ったのは、「寒い」ということでした。

1日目、一番の思い出は“函館山夜景鑑賞”でした。僕は、夜景を見た時、言葉を失い、「きれい」ということだけを思いました。函館山からは函館の街を眺めることができるのですが、まぶしいくらいの光を函館山から見ることができました。

 2日目、最初に考えたことは、なぜこんなに早く寝てしまったのだろうということでした。1日目の夜は、みんな寝ないで遊んでいたのだそうですが、僕の部屋は全員すぐに寝てしまったのです。あの時ほど「やってしまった」と思うことはなかったと思います。2日目は、主に函館市内班別研修を行いました。僕はこの日が一番楽しみでした。それは“8段ソフト”が目的でした。函館にはソフトクリーム屋が多く、迷いながら、ソフトクリームを1つ食べ、また1つこんな感じで最後に目的地“8段ソフト”が食べられるソフトクリーム屋につきました。大きさは、人間の頭ぐらいの大きさで、20秒内にすべて食べれば「タダ」になるということでした。僕は20秒で3分の2ぐらいしか食べられませんでした。“8段ソフト”が食べられる所は、函館市内にある北島三郎の母校の近くにあります。是非チャレンジしてみて下さい。

 3日目で一番思い出に残っているのは、アイヌの人々との出会いでした。僕は研修前にアイヌに関する本を読んでいたので、本の中だけの話だと思っていたことが、目の前で行われ、感動しました。アイヌの人々は、アイヌ人だからという理由でいまだに差別をされています、それなのに僕達が行った村のアイヌの人々はとてもいい人たちでした。僕はアイヌの人々に感動しました。その他に、有珠山の火山科学館や西山火口に行きました。有珠山の西山火口に行って、「地球って生きているのだ」と思いました。考えさせられること、そして、感動することが多い1日でした。

 4日目は、ラフティングをしました。流れの激しい川を1つのゴムボートに生徒6人と、インストラクター1人、計7人で川を下りました。途中、ボートがひっくり返るんじゃないかと思うような所や、岩にぶつかってぐるぐる回ったりと、スリルも楽しめ、美しい眺めも見ることができました。また、この川には泳いでもいい所があり、みんなで泳ぎました。北海道の6月は、雪解け水が川に流れ、とても冷たかったです。インストラクターの人が言うには、ドライスーツを着ていなかったら、1分で死んでしまうくらい冷たい水だそうです。

 5日目は、札幌で「よさこいソーラン祭」を見ることができました。僕の地元、長崎のよさこいなども見ることができました。その他、ラーメンを食べました。北海道で僕は、函館で塩ラーメン、札幌で味噌ラーメンを食べましたが、どちらも美味しかったです。でもどちらかと言うと、“みそ”のほうが好きかなって感じでした。

 僕はこの北海道現地研修で、友達や先生とさらに仲良くなれたし、美味しい物もたくさん食べることができました。また、ジンギスカンなど、ふだん食べないものも食べることができました。そして、一番よかったことは、アイヌの人々との出会いでした。この研修中、多くの失敗もしました。そして、多くのことを学びました。このことを、これからの人生に役立てていきたいと思います。



もうえない修学

                             高二  HS

今回僕は、一生に一度しかない思い出に残る修学旅行について、その中でも、とても心に残っている場所について書きたいと思います。まず、初日朝早く6時30分までに学校に集合しました。あの時はもう感動と興奮とでテンションが最高頂に達し、言葉で表現するなら「ウオッホイ!」ってな感じでした。今回の修学旅行は今までのとは違います。何が違うのかというと、去年までは旅行先である長崎まで新幹線で行っていましたが、今年からからなんと、「飛行機」になったのです!!

セントレア空港にバスが着き、飛行機の出発時間まで少し待っていると、Uさんの顔色が悪いのに気付きました。変だなあと思いながら飛行機の乗り、「大丈夫?」と聞くと、宇野さんは、「お腹がモソモソする。」と、苦しんでいるようで、楽しんでいた宇野さんでした。

ついに福岡空港に到着し、まず先に向かったのは、「浦上天主堂」でした。そこでは、小崎登明修道士の被爆体験の講話を聞かせていただきました。まるで、自分が今、被爆を体験したような感じになるぐらいのリアルな講話でした。その後、爆心地などたくさんの所を見ましたが、まだ書きたい事がたくさんあるので書きませんが、どうしても気になる人は、直接僕に聞いてください。年中無休でお答えします!

そしてその日のメインであるホテルに向かいました。その名も、「ロワジーホテル長崎」です!ホテルに着いた直後の感想を蒲原さんに聞いてみると、「ア゛ーッオ!」というハイテンションな答えが返ってきました。その夜は、消灯時間を過ぎても寝ずに夜遅くまで起きて、いろんな事を暴露しあったのでした。やっぱりこれが修学旅行の楽しみですよね!そしてまあ、当然のごとく、朝はとても眠く、元気がありませんでした。やっぱりそれって僕がまだ、子供って事ですかね?()

 この日のメインは、大浦天主堂と天草四朗メモリアルホールでした。大浦天主堂では、ステンドグラスを通って入ってきた光がとてもキレイで、うっとりするほどでした。次に行った天草四朗メモリアルホールでは、一つビックリする事がありました。それは、天草四朗は「美男子」だったという事です。その事を知ったUさんとKさんは写真を見ながら、「俺もあんな風に美男子になりてえなあ」と、言っていました。まあこれが本当か嘘かは本人に聞いてください()。メモリアルホールにはもう一つ、僕の目をひかせた物がありました。それは、「愛の鐘」です。これは、海に向かって愛する人の事を思いながら鐘を鳴らす事によって、潮風がその愛を運んでくれるという、ロマンチックな鐘でした。せっかくここまで来たのだからという事で、僕は記念として鐘を鳴らしました。潮風さんは僕の愛をちゃんと届けてくれたのでしょうか!?(笑)。まあ、ジョーダンはこのぐらいにして、その日の夜も別のホテルに泊まり、いろんな話を夜遅くまで話したのでした。

3日目、この日はテーマ別で行動する事になっていました。僕らのクラスは、イルカウォッチング→熊本城→柳川下りという順番に観光しました。イルカウォッチングでは、天気も良く、たくさんのイルカさんと会えましたが、なかなか顔を出してくれませんでした。ちょっと残念でしたね。次に行った熊本城では、「さすが熊本城!」と、言えるようなお城が建っていました。そこでは、たくさんの記念写真を撮りました。とても満足でした。最後に行った柳川下り。そこは船頭さんが歌ってくれる歌を聞きながら、静かに、静かに下っていく、心の和む所でした。そしてついに修学旅行のメインである、超高級ホテル、「ハウステンボス」に泊まる時が来ました。中はとってもキレイで、ゴージャスでした。しかし夕食の時に僕はガッカリしました。それは、皆と楽しく食事をしたかったのに、食事はしっかりしたマナーがあるとっても食べにくい所でした。でもまあ、部屋とベッドは最高だったので超良かったです!!

次の日はクラス別学習となっていました。僕らはハウステンボスの環境学習をしました。汚水をキレイにする装置を見ていると、僕の心もキレイにしてほしいと思うぐらい環境の事を考えキレイにしているのでした。つづいて、ペーロンという競技に参加してきました。ペーロンとはボートのような物に、太鼓がついており、その太鼓のリズムに合わせて他のボートと争うというものです。僕らはもう一つのクラスと戦いました。結果は二勝一敗という結果で、皆で喜びあいました。それから最後に、皆で記念に海へパンツ一丁で泳ぎました。やっぱりクラス皆で遊ぶのはいい事ですねえ!!その後くたくたに疲れた僕らは前夜と同じくハウステンボスに泊まりました。この日の夜は最後の夜という事なので皆で盛り上がりました!>

そしてとうとう最後の日、この日はあまり時間が無いという事で、あまり長くはいられなかったのですが、九州国立博物館、そして大宰府天満宮へ行ってきました。どちらも、もの凄くためになる事がたくさんありました。それから空港へ向かい、また宇野さんが、「お腹が、モソモソする」という言葉を聞きながら三重県に戻ってきたのでした。僕はこの修学旅行を通して、皆との仲が深まり、先生との仲が深まる事が出来たとても楽しい行事でした。もう修学旅行はありませんが、この思い出を、心の奥にしっかりとしまい、生活していきたいと思いました。

最後にUさんが修学旅行中に作った短歌をのせておきます。

眠りたい ああ眠りたい 眠りたい

眠りたいのに 眠らしてくれない

これはUさんがホテルで疲れて眠りたいけど友達が眠らせてくれない時の事を読んだそうです。


夏だ!海だ!

角丸四角形: 夏の到来と共に、四日市志願院は、海へ川へと、泳げるところならどこへでも出かけていきます。この夏の合宿第一弾は、福井県の敦賀に行きました。敦賀教会の皆さんにも、大変お世話になりました。

敦賀合宿

中一 GT

  ぼくたち志願生は、6月30日、7月1日の二日間、合宿に行きました。天気はくもりであまり気が乗らない天気でした。
 行く途中ある場所で信号が赤になり車が止まりました。その時僕は「大丈夫か!」と思いました。なぜかというと道路で犬が倒れていたからです。だけど、Tさんが「犬!」と叫んだら犬がすぐに起きました。でも何故そんな所で寝ているのかなと僕は思いました。

 敦賀教会に着くとジョビリー神父様が迎えてくれました。昼食は作ってもらったお弁当と敦賀教会の信者さんからいただいたスイカを食べました。ぼくがスイカを食べている時に何人かが、スイカの種を飛ばして遊んでいました。昼食を終えてすぐに海に行く準備をして出発しました。海に入る前にTさんがラジオ体操第二をやりました。体操が終えるとぼくは浅い所から入り、だんだん冷たいのに慣れていきました。T君は、すぐに海の方に走っていき飛び込みました。ぼくもいっきにもぐったら案外と海になれ、気持ちいいなと思いました。それから、浜辺で野球をしたり、サッカーをしたりして遊びました。その後、ジュースを飲みました。とても美味しかったです。そのあとお風呂に入り、夕食はコンビニに寄ってそこで夕食を買いました。そして敦賀教会に戻り、晩の祈りを終えとても楽しい一日を終えました。

次の日の朝ミサは、敦賀教会で与かりました。お礼として「恐れないで」、「Ave Maria」、「平和を求める祈り」、「Misericordias Domini」を歌いました。その後、敦賀教会をあとにして彦根城に行きました。そこでは、江戸時代からの建物が残っていて、ものすごく高かったです。その建物に入ってみるといろんな仕組みがありました。他にも有名な人物に何があったのか書かれていて、いろんなことを学びました。

ぼくはこの合宿を通していろんなことに触れたり、いろんなことを学んだりして、とても良い二日間となりました。また来年の敦賀合宿も楽しみにしています。



四国にも行ってきました!

角丸四角形: 海の日の連休を利用して、今年も四国に行ってきました。高松教区の溝部司教様はじめ、多くの方々のご配慮によるものです。今年も、たくさんの方々の笑顔と、鰹のたたきと讃岐うどんがわたしたちを待っていてくれました。

高松合宿へ行って

高一 RR

私達は7月中旬に香川県北部にある高松の司教館に泊まることになった。
 目的、それは高松教区のカテドラルである桜町教会に有志バンドや、志願生のコーラスを披露する為、そして青年達と交流会をするためだ。

合宿初日、午後に志願院を出て、5~6時間で高松の司教館についた。夜遅くにも関わらず司教館にいらした、浜口末雄神父様、浜口秀昭神父様、佐藤直樹神父様、ルイジ神父様に歓迎していただいてから私達が泊まる部屋へ案内してくださった。その後もう遅かったからすぐ寝床についた。

あくる日の朝、台風が近づいているということで、午前中はずっと歌の練習を行った。午後からは、雨が止んだところを見計らってうどんを食べに行ったのだが、私にとって、そのうどん屋は少し変わったうどん屋のように見えたのだ。まずうどんを頼んでから目の前に並べてある値段表のついた具材をとって会計をするというシステムであった。うどんを食べ終えた後、亀山城に行った。司教館へ戻る途中に銭湯によってそこにある塩サウナを志願生で堪能したのであった。司教館へ戻り、夕食まで時間が余っていたから少し夕食のことを考えていた。夕食の時間になり、私達の前に置かれたのはなんと、手打ちうどん90人前と鰹のたたきとおにぎりであった。はじめ見たときは正直腰を抜かしそうになった。結局、うどんだけが次の日の朝食まで残ってしまったが、何とか完食する事が出来た。

夕食の後に、溝部司教様が、お話をして下さった。お話の内容は次のようなものである。「私(溝部司教様)が志願生だった頃の友達が、今はサレジオ会を支えている。」このようなこと聞いて私は、いつか私達にも、今の志願生が将来、サレジオ会を皆で回してゆく、支えていく、そんな時代を夢に見ながら、挑戦していく精神を培いたいと思った。司教様のお話を聞き終わってから、ちょっとした交流会をして2日目の終わりを迎えた。

 3日目の朝、朝の祈りと朝食を済ませてから、ミサ後に行うコーラスの為に練習をした。練習を終え10時に桜町教会で溝部司教様司式のミサにあずかった。私にとって初めての司教様司式のミサに与ったので、心の中が感動でいっぱいになった。溝部司教様、本当にありがとうございました。ミサ後今回の合宿の目的であるコーラス中心の発表会をした。まず、志願生コーラスである。歌った曲は「Misericordias  Domini」「Ubi Caritas」「平和を求める祈り」「ささげうた」「Ave Maria」だ。皆、本当に上手に歌ったと思うし、聞いてくださっていた方々も本当によく聴いてくださったと思う。次にスピーチ(トークショー)である。オブレート会のブラザー八木の司会で、答える志願生代表は、HさんとE君とK君である。質問の内容と言うと「なぜ志願院に入ったか?」「将来どんな司祭・修道士になりたいのか?」などである。3人の質問は答えているととても長くなるので、知りたい方は直接本人に聞いてくれたらと思う。次は有志ギター演奏。演奏者はTさん・Sさん・Uさんである。曲は「僕の食卓に花束を」。さすが高2といえるような演奏だった。まずここまで出来たことに感動した!最後はコーラスグループの方々と「恐れないで」を共に歌いこのアカデミアを締めくくった。

 この3日間、歌練習も含め実に大変だった。だが、苦労した分終わった時にすごく達成感があった。その後、昼食を取りながら子ども達や同じ年齢層の人たちと交流をした。その後高松教区に別れを告げ、また5~6時間かけて志願院に帰ったのである。この合宿を通して私にとっても皆にとっても実り多い合宿になったと思う。

 溝部司教様、浜口末雄神父様、浜口秀昭神父様、佐藤直樹神父様、ルイジ神父様そして、神様にこの合宿を無事に終わらせてくださった事に感謝したい。また、手打ちうどんやかつおのタタキ、おにぎりを作ってくださった方々にも感謝したい。これからもこの合宿で受けた恵みを日々の生活の中で自分の糧としていきたいと思う。



志願院で教会学校のキャンプをしました。

角丸四角形: 今年は、三重県中勢ブロックの教会学校のキャンプが、志願院を舞台に行なわれました。たくさんの子供たちを自分たちの家に迎えて行なわれたキャンプは、志願生にとってはどんなものだったのでしょうか。

サマーキャンプ!

               高一 TR

 時を遡る事、7月21日、この日は中勢サマーキャンプの日でありました。今年は、サマーキャンプの時にいつもお世話になっていた鈴鹿少年の家でなくここ四日市サレジオ志願院でやりました。

 初日は、四日市ヘルスプラザという所に集合しました。そして、始まりは緊張をほぐすためゲームをしました。ゲームは、岡本先生が考えてくださいました。その中でもインパルスゲームは、新しいものであった。そして子供たちも楽しんでいたのでとても良いゲームだと思いました。そしてミサをしました。ミサの中では、志願生が劇をしました。子供たちに内容が良く伝わったかはなんとも言えませんが、良い劇だったと思います。その後は、班でやる聖書劇の練習をしました。思っていた以上に子供たちの台本を覚えるスピードが速くスムーズに練習が出来て驚きました。
 劇の練習を2時間ほどやって、お待ちかねの水泳の時間がやってきました。少し子供たちにとったら水かさが深かったかもしれませんが浮き輪をつけて泳ぎました。水の事故もなく、安全でよかったと思います。 その後、水泳も終わり、車で志願院へ移動しました。車の中では、皆疲れていて眠っていました。

 志願院に着くと、あいにくの雨でしたが、甲斐先生や信者さんの皆さんがブルーシートを上に広げてその下でバーベキューをしました。そのときには、もう子供たちは走り回っていました。バーベキューの準備をして下さった皆さん本当にありがとうございました。とても美味しかったです。

 夕食が終わると、ヘルスプラザで各班練習した聖書劇の発表です。中学生は、私たちが練習をしていた時、志願院に戻ってイエス様の絵を作っていたらしく、その作った絵を発表してくれました。体の一部の書き方や色の塗り方などに意味があってとても良い作品でした。小学生の劇では、各班殉教についての劇で内容が深く面白く作ってあったので楽しく見ることができました。きっと子供たちも内容を理解してくれたと思います。
 聖書劇の発表も終わり、この日最後のプログラムは光の集いです。この光の集いでサマーキャンプで得た多くの恵みに感謝の言葉を班ごとまた一人ひとりろうそくに明かりを灯して言いました。光の集いでは、今日一日楽しく過ごせたという気持ちと少し寂しくなるような気持ちがあって何ともいえない気持ちとなりました。

その次の日、目覚まし時計でなく、子供たちの声で起きました。朝から子供たちは昨日と同じテンションで走り回っていました。朝は、グラウンドでラジオ体操をしました。眠たそうな顔もありましたがラジオ体操が終わると昨日の様に楽しそうな顔になっていました。朝食はバーベキューと同じでブルーシートの下で頂きました。その時に空を見ると、昨日と打って変わって快晴でとても気持ちよかったです。

食後は、皆で掃除をしました。子供たちは率先して掃除をしてくれて何も注意する事が無く自分は見習わないといけないなと思いました。皆、掃除ありがとう。掃除が終わると、プログラムの最後と言ってもいいと思いますが、ミサをしました。待者や朗読、共同祈願などを子供たちがしてくれました。神様にサマーキャンプが無事であった事を感謝し、頂いたお恵みにも感謝してお祈りしました。
 ミサ後は、感想文を皆で書きました。皆サマーキャンプで思ったこと、楽しかった事を紙に書いてサマーキャンプの思い出としました。

今回も、子供たちの笑顔を見ることができてとても良いサマーキャンプになったと思います。サマーキャンプのリーダーとして参加した僕としては、楽しく子供たちと遊ぶことが出来て、大きな事故も無く安全に過ごせた事がなによりでした。そして、夏の良い思い出にもなりました。来年は高2になり、サマーキャンプにもまた参加するつもりですが、また今回のような皆で楽しめるサマーキャンプであるようにリーダーとして頑張っていきたいと思います。

スタッフの皆さんお疲れ様でした。来年もサマーキャンプを盛り上げていくために頑張っていきましょう。



鶴岡教会(山形)・紐差教会(長崎)練成会

角丸四角形: 志願生の二つの出身教会で練成会が行なわれ、四日市の志願生は、別府のサレジアンシスターズの志願生の皆さんとともに、お手伝いをしてきました。移動距離3000キロ以上の怒涛の一週間を、フル日程で参加したS・K君が振り返ります。

その時歴史が動いた

高二 SK

 2007年7月。わたくしSKと一部の四日市志願生&一部のサレジアンシスターズの志願生は、四日市志願院のエネルギーの源であるHS君の出身教会である鶴岡教会でのサマーキャンプと、我ら四日市志願生の一人であるスーパーヒョロリM君の出身教会である紐差教会のサマーキャンプに参加した。そこで私は今から「私が勝手に作った皆さんの質問!」にお答えして差し上げましょう。私が何故、チョー大事な高校2年生の夏休みを削ってまで長期スーパーハードサマーキャンプに参加したのか!それは、そこに子供達の声があるから、そして、神様が僕らを呼んでいるからさ!!!

 7月25日すいようビ。この日、私達は5時半にミサをした。この時点でウルトラスーパーハードである。そして車内で約12時間の道のりを走った。これまたウルトラスーパーミラクルハードである。とここで、他にも「ハード」と感じる時はあったのだが、何度も書くとけっこう字数が多いので、後の文章では書かないことにするそしてついに山口県!!?ではなく山形県!!!に着いた。そして僕らの冒険は始まるのだった。

 山形県。わたくし東京出身者から見れば、そこはジャングルだった←ウソ。とにかく自然の香りが気持ちよかった←ん~。大自然で植えられたメロンは美味しかった←ホント。そして大自然で育った子供達は、クロマグロのようだった←マジで。そう、山形の子供達は止まったら死んでしまうのではないかと思うくらいチョー元気だった。なんせ朝5時ごろ起きてドッジボールを始めるほど元気な子供たちなのだから・・・。

山形キャンプでは何をやったかというと、司牧をしたのだ。そんなことは分かっている。私達はこの山形キャンプで、子供達に何を伝えることができたかということを聞いているのだ!それは、このキャンプでのテーマにもなっている「いのちは宝もの神様の贈りもの」にそって、私達は殉教者のことについて伝えた。各班ごとに劇を発表して、みんなで共に学びあった。そう、いのちとはみんなの為、そして神様のためにあるのだ。このキャンプではたくさんのことを学んだ。劇の練習では、けっこうてこずったところもあったりはしたが、みんなで頑張ることができた。ゲームでは、みんなで共に笑い楽しんだ。お祈りの時間、ロザリオや光の集いでは、心の中にある小さな灯を一心に見つめながら神様の声に耳を傾けた。そのようなごく普通の出来事の中で私達は輝いていたのだ。そこで仲間と共に、神様と共に過ごすことができた。そしてそれが生きることであり、いのちなのだ。そしてこのキャンプでの神様によるいのちが生きていたのだ。その時歴史が動いた。

7月29日。イガイト・スーパーマッチョイM殿の出身教会に着いた。そこには、ヤッパリ・ヒョロリM君のほかに、数人の四日市志願生とほぼ全員集合のサレジアンシスターズと合流した。そしてそこでバーベQをしたが、途中雨が降ってきたのでテーブルを中に入れたら雨がやんだ。もーなんということだろう。我々人間が雨にいじめられるなんて。ムスッ!!そんなことを言ってはいけない。世界には、心の貧しい人がたくさんいるのだから。それにおニクもおいしかったし、おサシミもおいしかったし、私の作ったチョースーパーワサビトラップにひっかかったUさんの顔もサイコーだったしと、とても楽しいバーベQになったではないか。そしてエネルギー満タン!となった私たちは、明日に備えて眠るのだった。

7月30日、午前9時00分。とうとう紐差キャンプが始まった。このキャンプでのテーマは「ミサ」だった。今回は子供たちが中心となって、改めてミサの大切さを知るようにということで、このようなテーマを考えられたのだ。ミサとは何だ?それは私達の生活において、中心であり、かつ源である。だが私たちも人間だ。人間誰でもサボってしまったりと、マンネリ化というものがあるのだ。私自身そうである。だが今回のキャンプに参加して、私は目覚めた。ミサというものは知らない所からやってくるものではない。私たち自身が創りだし、私たち自身が呼び求めなければならないのだ。今回の子供たちのミサに対する情熱を見て、そう思った。子供たちの元気な声、若い心から学ぶことはたくさんあったのだ。その時歴史が動いた。

とうとう四日市志願院に帰って来てしまった。いや~しかし、やり残したことがたくさんありすぎて帰るのがホントに悔しかったなー。BGMとか・・・ミスった。ここで皆さん、人生は計画的に生きなければなりませんよ!ホントに。まーでもコレをバネに、レベルUPできるよう頑張るぜ!

そして、このキャンプでお世話になった方々、私達のためにいろいろと準備してくださった方々、本当にありがとうございます。このキャンプでたくさんの事を学び、私達に感動をあたえて下さったのは、いろいろな形で支えてくださった方々のおかげと言っても過言ではない。お礼に、ある先輩が言っていたことを私がうまい具合に盗んでアレンジしたものを紹介して、何か良いものを感じてもらえれば幸いである↓

この世の中は一つのパズルでできている

全てのピースが揃わなければ 一つのものは完成しない

一つのものを完成させるには 全てのピースが協力し合わなければならない

そしてすべてのピースが一つになったとき 神様の求める最高のものができるだろう

なぜなら

世界中のみなさん一人ひとりが 一つのピース(平和)でできているからだ

まぁ読んでください。今から、「私が勝手に作った皆さんの質問!第2弾!!」にお答えしましょう。この記事の題名に、「その時歴史が動いた」と書いてあるが、「全然歴史動いてないじゃん!」というツッコミを入れてくださるお方がいるのでは?まーいることにしよう!答え→何を言うか!プー!!私達はこのキャンプを通して学びそして、今この思い出をたくさんの人と分かち合う事によって、心の歴史が変化しているではないか!!!



35回野尻湖少年聖書学校

角丸四角形: 日本のサレジオ会の中では、「夏と言えば聖書学校」ということになっています。昨年に引き続き、小学生の部にリーダーとして参加した宇野くんの手記です。

野尻湖 フォ~♪

高二 UH

 今年の夏は心の底から暑い!と思いました。というのも、地球温暖化のせいか、新潟に近い8月の野尻湖でさえも暑かったからです。僕は小さい頃から「クーラーは体に悪いよ」と言い聞かされて育ち、夏は暑いものだと思っていましたが、ある時気付きました。「夏でも信越は涼しいんだ♪」と。そしてこの夏、どんなに暑くても野尻湖に行って涼めることを期待しました。しかし見事に裏切られ、はかなき17歳の夢は散っていきました。ということで、前置きは長くなりましたが、今年も見事な晴天に恵まれ例年通り“野尻湖聖書学校・小学生の部”が開かれました☆ミ

 この聖書学校には今年も日本各地から小学56年を中心にたくさんの男の子が集まってきました。それは神様からの導きなのか、僕みたいに「信越に行けば涼めるんだ♪」という考えを持っていたのか、ただ「野尻湖」というブランドにつられてきたのか、それは人それぞれの思いがあったのでしょうが“そんなの関係ねぇと思いました。とにかく自分と全く違う地域や環境で育ってきた同級生の子と、同じ所で、同じ釜のメシを食べ、同じ活動をすることでリーダーをした僕たち志願生以上に、本人たちが何か強いものを感じることができるのであればそれはホントに神様からのお恵みだと思います。

 さて、何かもうまとめのようなことを書いてしまって、少しアセってるのですが、今年の野尻湖はどのようなことをしたのか紹介していきたいと思います。今年のテーマ⇒「命」。 僕はEさん(←通称 エガシー と呼ばれている、夢と可能性と眼鏡の輝きに満ち溢れた新高1の志願生~☆)と共に6班のリーダーをすることになりました。基本的に班で行動し、「せっかく野尻湖に来たんだから↑↑」と言わんばかしにハードスケジュールをこなしていきました。

 野尻湖には子ども達もたくさん来ますが、神父様や神学生、修道士やシスター方などなどたくさんいらっしゃって「命」をテーマに聖書学習の時や、ボナノッテといわれる寝る前のお話しなどの時にいろんなことを話してくれました。僕たちは毎日「命」をいただかないと生きられないこと。そして、その「命」は尊いこと。だから、「命」を与えてくださった神様に感謝をしなければならないこと。ということを聞かしてもらいました。子どもたちも熱心に耳を傾け、そのパワーを感じました。そして目の前には野尻湖が広がってるということで、レクリエーションの時間には皆で泳ぎました。僕たちリーダーは「事故のないように細心の注意を払って泳ぐように!」と言われ、気合十分で飛び込んだものの、大人数の子ども達に圧倒され、ぶくぶくぶく……と。この年になってやっと「浮き輪」というこの世のすばらしい発明品に心を打たれました。そして皆のハシャギぶりや笑顔を見て元気をもらい、調子に乗って遊びまくり、再びへたれてしまいますが↓↓また皆が盛り上げてくれて↑↑再度がんばれる…。というサイクルの4日間でした⌒☆

 また例年通りの登山もありました。内心、前日には「雨が降ってくれて中止にならないかなぁぁ…」と思っていましたが思いは届かず、しかも晴天の中、飯綱山への登山がはじまりました。しかし、この登山中にたくさんのことを学びました♪毎週日曜日の朝にある戦隊物の番組では隊員たちが時空を超えて戦っていることや、大阪から来たT君と彼の姉の2人のすばらしいツッコミ交じりの会話を聞くことができたことや、お互いに持っているお菓子を分け合ったりすることの大切さなど、長いようで…やっぱり長かった登山の道のりはなんだかんだいってとても楽しかったです。また、野尻湖にあるちょっと発展した町まで買い物(←聖書学校の参加者はなんと~全品10%OFF!)に行った時は、皆でアイスを食べ、帰りは遊覧船に乗り込み、一般のお客さん方がいるのにもかかわらずコース変更をしてサレジオ山荘前で降ろしてもらい(←サレジオの力はすばらしいッ♪)芳賀さんのテンションはMAXのようでした。ぷぷッ♪

また、総まとめとして各班で劇を2つ発表しました。1つは聖書に基づいた劇でもう1つは何でもありの笑いをとる劇でした。個性的な劇や、意味不明だけど笑える劇などをしてとてもおもしろかったです。そして最後の夜は神秘的な光の集いをして皆とお別れするのでした。

今、この聖書学校を振り返るとカッターボートに乗って皆で☆☆満天の星空☆☆を見ながらロザリオを唱えたのを思い出します。個性的な仲間と出会い、影で支えて下さった方々に感謝したいと思います。ありがとうございました。



野尻志願者合宿

角丸四角形: 夏の終わりに、志願生たちは毎年野尻湖で合宿をします。湖の水位も下がり、泳ぐにはだいぶ肌寒くなっているのですが、そんなことは志願生たちには関係ありません。B君は、今年の志願者合宿で、ある気付きがあったようです。

野尻湖から学ぶサレジオ会の精神

高一 BH

 野尻湖での志願者合宿は好きです。何故なら、行っている場所は毎年一緒なのに、いつも何か違ったものがあり、そして、いつも何か大事な事を学べるからです。

 野尻湖志願者合宿が毎年違ったものに感じられる要因として、山登りが挙げられると思います。志願者合宿で登る山というのは、ローテーションになっているとはいっても毎年変わります(いずれにせよ超ハードなのですが・・・)。今年は戸隠山という山に登りました。戸隠山という山は昔、死者を出した程(噂によると最近も亡くなった人がいるそうです)岩場が激しい山で、中でもその山の名所になっている「蟻の戸渡り」&「剣の刃渡り」という場所は、細い岩の上を歩くのですが、左右に目を向けると、下まで何十メートルの崖になっていて、その場所に来る前に「○○さん、安らかに」と書かれた慰霊の札を見かけました。本当にその時は「Bさん、安らかに」になるのではないかと思いました。

 山というものは不思議なもので、登るたびに僕達志願者の絆を深めてくれます。やはりきつい思いをして、汗を流して頂上に辿り着いた達成感を皆で味わう事もそうですし、辛い時を共に過ごした仲間の絆が深くなるという原理が山登りにもあるからではないでしょうか。来年もまた違う山に登ると思いますが、この山登りというイベントを通して、これからも、もっと志願者どうしの絆が深まっていけば良いなと思います。

 ところで、文の初めに野尻湖合宿は毎年違うと書きましたが、絶対に変わらないものがあります。それは、みんなの笑顔です。僕は今回、山登りのあと、肺気胸という、肺に穴が開いて、肺が縮んでしまう病気を再発してしまい、その後の、横浜志願院、調布の修練院との合同合宿のメインイベントである水上オリンピックに参加すること出来ませんでした。その時僕は桟橋から、みんなが泳いだり、ボート競技をして楽しそうにしているのを見ていて、気付きました、みんなが楽しそうに笑っている事に。今まではあまり気にしていませんでしたが、いざ自分がみんなの輪の中から出てみると、何故かとてもそのみんなの笑顔が気になり、僕はその時、本気でみんなと一緒に泳ぎたいなと思いました。とてもみんなの笑顔に何かひきつけられるものを感じたからです。

 僕はこれはとても大事な事だと思います。楽しいから笑う。これは当たり前のようで、とても大事なことです。笑顔は笑顔を呼び、どんどんその輪を広げていきます。僕がみんなの笑顔にひきつけられたのは、そこに楽しさや、喜びを感じたからです。ドン・ボスコもいつも笑顔だったと思います。そして子供達はそれを見て、そこに同じく楽しさや、喜びを感じたから、あんなにもドン・ボスコの所に集まったのではないでしょうか。僕はドン・ボスコの言葉である「快活であれ」というのは、こういうことではないかと思います。笑顔、楽しさ、喜びのある所に青少年は集まって来ます。だから青少年のために働くサレジオ会員になるためには、快活である事がとても大事だと思うのです。まだまだ僕には、いつでも快活であるという事は難しい事ですが、このような合宿を通して、少しずつ日々の生活の中でも、笑顔、楽しさ、喜びによって青少年をひきつける事の出来る、ドン・ボスコのような人へと成長していけたら良いなと思います。


      

帰省報告

角丸四角形: 夏休み中、志願生たちはそれぞれの家庭に戻り、家族と共に時間を過ごします。故郷の大分・中津に久々に帰った川端くんは、どんな毎日を過ごしたのでしょうか。

初めての帰省 

中一 KT

僕は、勉強合宿を乗り越え、7月27日、やっと夏休みが始まりました。とても言い表せないほど嬉しかったです。そしてついに、帰省の日がやってきました。僕は「久しぶりに、友達に会えるなんて」と、ちょっと感動しました。

そして、駅でおりたら、お母さんが迎えにきてくれました。僕はとても久しぶりにお母さんを見るので緊張しました。それから僕の教会の中津教会にも行きました。そして、僕の主任司祭のノーサル神父様と久しぶりに会って、とても緊張しました。翌日、日曜日のミサが終わったら主任神父様や信者さん達が、いろいろ祝ってくれました。とても嬉しかったです。そして、小学校の友達にいっぱい会いに行きました。友達の家の中では、もうめちゃめちゃ久しぶりのゲームをしました。それは・・・・ポケモンです。あれはもうバリバリ楽しかったです。すごくしました。それで、家に戻ったら、ちょこっと夏休みの宿題をした後、お母さんの料理でいちばん好きな料理を食べました。とてもなつかしい味がしました。それから夏休みの間毎日ミサに行ったり、勉強をしたり、遊んだりしました。

そして、8月6日、僕の小学校の友達と、ボーリング大会をしました。3ゲームしました。最初は、遊びでいろいろな技をしてガーターばっかりとっていました。そんな僕なのでお母さんに叱られました。「あんた2ゲーム目で、100ポイント以上いかんと、ジュース買ってやらん」と言われました。僕はジュースがほしくてたまらなかったので技とか無しで、本気でピンに向き合いました。1回目9本で、その後奇跡が起こりました。3回連続ストライクを取りました。ですから、5回目でもう80以上はとっていました。あとスペアも結構取っていって、2ゲーム目は112ポイントでした。僕はとても嬉しかったです。3ゲームは90ポイントぐらいでした。ボーリングでは、とてもいい思い出が作れました。

そして、何日かたっていくと、お母さんとの緊張感が薄れ、言い合い喧嘩をする普段の状態に戻ってきました。小さいとき僕は、お母さんに負けていましたが、もう中学になったのでお母さんに負けないようになりました。それでも、僕とお母さんは、すぐに仲直りします。仲直りした後は、6年生の時の担任の先生や、ほかの先生に会いに行きました。先生方は、とっても喜んでくれました。そして、何日かたったら、主任神父様が、山口県の角島というきれいな海に連れて行ってくれました。そこでは時にはイルカも顔を出したりします。僕は海でイルカを見たのは初めてでした。

いろいろなよい思い出を作っていった中で、やっと志願院に帰省する時がきました。友達や親も僕を見送ってくれました。そして、夜行バスがきました。なにか寂しく感じました。この帰省中で最後に聞いた言葉がお母さんだと思ったら、僕の友だちの妹の声でした。その言葉は、「また託郎とポケモン勝負しようぜ」という言葉でした。僕は、言葉が出なかったです。それで、バスが出発しました。まぁ~これもいい思い出です。

そしてこの帰省中で感じた事がありました。それは、自分のふるさとを半年ぶりに見たら、大きい建物がたったり、古い店がきれいにしてあったり、道路がきれいになったりしていました。「僕の町が進化し続けているんだなあ。」と感じました。そして志願院にもどったら、もう暑くて暑くて汗だらだらでした。「こんなところで生活できるか!」って思うほど、暑かったです。しかし、普段の生活が始まりました。そして、1週間後に期末試験があるという情報を聞きました。僕は危うく意識が無くなりそうでした。やっぱり、楽があったら苦がありますね。



海を越えた夏休み

角丸四角形: 帰省期間中に海外で過ごす志願生もいます。今年は、T君が、ヴェトナムのお祖父さん・お祖母さんのもとで一夏を過ごしました。

      

ェトナム!!

高2 TT

 ヴェトナム?ヴェトナム・・・・ヴェトナム!あっ!ヴェトナムに行こう。こんな感じで私はヴェトナムに行く決意をした。目的はヴェトナム語の勉強である。今回の私の記事はヴェトナムでの思い出を語ろうと思う。全ては書けないので心に残ったことについて語ろうと思う。

 私がヴェトナムに旅立ったのは7月24日。ちょうどその日はヴェトナムから来ていた叔母がヴェトナムに帰るので私も一緒に行く事になった。ヴェトナムのホーチミンに着くと早速、15人ぐらいの親戚が快く私達を迎えてくれた。私と叔母のために15人も空港まで迎えに来てくれるとは言葉が出ないほどの嬉しさだった。

私がヴェトナムで滞在したところは、ブン・タオという海が綺麗ということで有名な田舎だった。そこに私の父方の祖父母の家があって、そこで私は過ごした。そこは空港から約3~4時間かかる。祖父母の家に着くと以前ヴェトナムに行った時とそんなに変わっていなかったので嬉しかった。ヴェトナムに着いた1日目はそれで終了。それから2日後今回の目的である「ヴェトナム語の勉強」を始めた。時間割は午前8~10時と午後2~4時の合計4時間を行った。先生は実にやさしい人でいつも私のために分りやすく教えてくれた。こんな授業を滞在中ほぼ毎日受けていた。

 授業の後はいとこ達と遊んだ。6~12歳の子どもである。かくれんぼしたり、自転車でブラブラしたり、バイクであちこち行ったりした。驚いた事に田舎のヴェトナム人は12歳からバイクを乗っている。もちろん警察に捕まったらおしまいだが。そのため事故が多く、どの事故もグロテスクである。子供たちの遊んでいる姿はいつも微笑ましい光景である。一瞬一瞬を一生懸命に楽しんでいるからである。果たして、日本人はこの子供達のように一瞬一瞬を一生懸命に楽しんでいるのかなぁ~と考えさせられた。私も見習っていこう。

 私はもちろんミサにも行った。これまた驚いた事に、早朝430分からミサが始まるのである。外はまだ暗いのに毎日300人ぐらいの信者がミサを受けに来た。これまた驚いた事に、その中に小学1年生ぐらいの子もいたというのがすごい。ヴェトナム人は信心深いな~と感嘆するばかりである。またコレも見習っていこうと思う。

 私はヴェトナム滞在中どこにも行かなかったわけではない。ホーチミンというヴェトナムではNO.2ぐらいの都会に行った。ホーチミンに行った最初の感想は「バイクが多いな」だ。道路の9割はバイクで埋め尽くされていた。ホーチミンは多少ビルとか高級そうなホテル、デパートとかあって中々の都会である。でもやはり日本には敵わないな。観光客が多く、ヨーロッパ系の人々を見かけることが多かった。とりあえず、買い物はそれなりに楽しかった。その後祖父母の家に帰った。

 日本に帰る前に祖父母は私に「私達はTのことをとってもvery愛しているよ」と言ってくれた。遠いヴェトナムにも私を支えてくれる人々がいるのかと思って、思わずウルっときてしまった。その後日本に帰国。今回の滞在のおかげでヴェトナム語もスコブルブル上達したし、日本とヴェトナムの文化の違いも見れたし、親戚の人達と5年ぶりに会う事が出来たし、良い事づくしだった。こんな滅多にない体験をさせてくれた両親に感謝したいし、ベトナムの親戚にも感謝したい。もちろん神様にも。
 the end


夏の霊的読書感想文

角丸四角形: 夏休み中、志願生には学校の宿題だけではなく、志願院からも、課題が出されます。霊的読書の感想文もその一つです。その中から力作二つを紹介します。

『闇をてらす足おと』を読んで

高一 ET

私はハンセン病についての知識はあまりなかった。今はなくなった過去の病気だと思っていた。この本を読んで私が思ったのは、ハンセン病の怖さは、その症状だけでなく、病気を罪の現われとして発病した人を汚れた者として見てしまう世間の目でないかと思った。そして、この本を読んでいくうちに、この人たちの生活と私達の生活、何が違うのかと思った。神山病院にいる患者は、岩下神父様に助けられ、名前を変えて新たな人生をスタートした。そして、病院では各々が自分の出来る形で病院を支え、少ないながら金券をもらえる。娯楽があり、咲子という方に恋をし、時には野球をしている。何か変わりがあるだろうか。辛い時には支えてくれる人がいる。一方では健康でありながら支えてくれる人もなく引きこもりになって暗い生活を送る人もいる。そっちの方が私は不幸だと思う。ヘレン・ケラーの言葉に「障害は不便である。しかし、不幸ではない」という言葉がある。これと同じなのだ。人生の幸か不幸かは自分で決めるものなのだ。そう頭では分っている。しかし、重病の人、障害のある人を見るとかわいそうだと思ってしまう。そんな自分が恥ずかしい。

 次に考えたことは、闇をてらす「足おと」について。これは夜中に見まわりに来ていた岩下神父の足おとである。また、何度も通ってきて話しを聞いてくれる重兼芳子さんの足音のように思う。不安な夜ではないか、ちゃんと休めているか、といつも気を使い夜中に部屋を見まわる岩下神父のやさしさ、そして、自らの人生を聞いてくれるために何度も足を運んでくださる重兼芳子さんの心、夜の闇の中でも目を失い、光のない世界の中でも、心の中に光をてらしてくれる方がいること。それがうらやましい。私もどんなに心の奥底にある闇に包まれ絶望した時も光を照らし手をさしのべてくれる方が欲しいし、また私も誰かのそのような人になりたいと思う。



『生かされて』を読んで

                             高二 KK

 僕がこの本を読んで一言で言うと、感動しました。また、本当にこんな事がこの世界で起きたのだろうかと疑問に思いました。1994年といったら、僕が4歳の時です。たぶん、ルワンダでこのような大虐殺がされているとき、ぼくらはただ平和の中、「あれが欲しい」「コレが欲しい」「こんなの嫌だ」などとわがままを言い、それが受け入れられていた事でしょう。それを思うとなんて僕らは幸せなのでしょうか。恵まれているのでしょうか。この本を読んで、いろんなことを教えられました。その中で僕が特に印象に残った事は、「祈りの強さ」とイマキュレーさんの「家族への思い」の二点です。

 まず第一に「祈りの強さ」です。祈りは、イマキュレーさんが、虐殺が始まって終わるまでずっと行っていました。本を読んでいるうちにわかったのですが、イマキュレーさんの祈りは時間がたつにつれ、どんどん強くなるものでした。また、どんなに悪魔から誘惑されても屈せずに、ただ唯一の神に祈り続ける姿に胸を打たれました。今の僕の祈りには、ただ祈っているだけで芯のある祈りはほとんどないのではないと思いました。やはり、祈りに大切なのはその意向に対する思いの強さなのではいと思いました。また、イマキュレーさんのお父さんレオナールさんの言葉がとても残っています。「祈りすぎるということはない」という言葉です。よく「~しすぎる」ことは良くないと言われますが、祈りだけは違います。祈れば祈るほど良く、祈りすぎることで悪いことはないと知りました。

 次に「家族への愛」ついてです。イマキュレーさんはすごく家族を愛していたのだなとこの本を読んでいてわかりました。自分が助かったときに、友人から兄弟の事についての知らせを聞いたときの悲しみはすごく僕の心に伝わってきました。僕の家族も、この夏をもって、姉が音楽(ピアノ)の勉強のため海外に行き、僕は志願院で生活し、家族が三つに分かれました。次に家族全員が集まるのが何年先になるのか分かりません。しかし、僕もみんなが生きているのであればそれだけで幸せと思いますし、祈って生きたいと思いました。

 最後に、この本を読んで生きることの大切さや神様への祈りについてたくさん教えられました。また、自分の信仰を改めて見直すことができました。とてもよかったです。



東京にも行ったんです。

角丸四角形: 敬老の日の連休を利用して、東京のサレジオ会支部をいくつか訪問しました。旅の最後に調布神学院で行なわれたサッカー大会で、兄弟対決をしてきたM君の報告をお聞きください。

~東京支部への旅~

中三 MY

 僕達四日市サレジオ志願生は、9月15日~9月17日の三日間東京へ行くことになった。期末テストが終わり皆ルンルン気分の時に日本の首都であるTokyoへ行くことになったのだから、志願生の気分はUP↑↑UP↑↑。そして志願生を乗せた車は、東京へと出発した。長い間車に揺られること数時間後に、日々ギターに励んでいる兄弟志願生の出身教会である三河島教会に到着した。そこに三河島教会の主任司祭である西本神父様が、僕達を暖かく迎え入れてくださいました。その後、横浜の志願生の高1、高2もやって来ました。その日は、ずっと車に揺られていたのですぐに眠ることができました。

 翌日、横浜の志願生も皆集まり、主日のミサを受け、その後、教会の子供達と一緒にバーベQをしました。子供達はとても元気がよく、相手をするのが大変でした。そして三河島教会を後にしました。三河島教会からは、たくさんのご寄付を頂きました。西本神父様、信者の皆様、本当にありがとうございました。

 その後、足立教会、ドン・ボスコ社、聖イグナチオ教会へ行きました。2つの教会は独特の雰囲気のある、とてもいい教会だなぁと思いました。その後、管区長館へ行き、そして、調布サレジオ修道院へ行きました。着くとすぐにチマッティ神父様のお墓へ行ってお祈りをして夕食を食べに食堂へ行くとたくさんの先輩や神父様、そして兄がいました。食事の祈りをし、さあ食べよう!!と思っていたら、僕達の大先輩である川部金四郎先生がいつものテンションで、歓迎の歌を歌って下さいました。サレジオ会の精神を圧倒的に見せられたような気がしました。食事がそろそろいいかな?という頃には、サレジオ会精神である、アカデミアの時間がやって来ました。アカデミアを見ている時、本当にサレジオ会の雰囲気はいいなぁと思いました。

 そして、9月17日、最後の日、午前10時頃からサレジオカップ(サッカー大会)が行われました。四日市サレジオ志願院は2つのチームに分かれて試合をしました。僕のほうのチームは、先輩達の素晴らしいテクニックに翻弄されながらも、頑張った末に負けました。が、もう一つチームは、皆の頑張りのおかげで2位という素晴らしい順位になることが出来ました。ちなみに僕のほうのチームの順位は後ろから1位という素晴らしい順位になることが出来ました。そしてサレジオカップ終了と同時に志願院へ帰りました。

 この合宿を通して、改めて、サレジオ会の凄さを感じることが出来ました。そして多くの先輩方からたくさんのことを学ぶことが出来ました。そして前よりも早く調布神学院へ行きたいという思いが増したような気がします。



連載第二弾

角丸四角形: 前号から始まった連載「○○と私」。今回はFくんが、「子ども達と私」について語ります。

○○と私

              高一 FN

○○と私・・・。私は、今回四日市だよりを書くものを掲示板で見たとき、私はとても困った。「一体何を書けばいいのか」ととても悩みました。そして、その日から毎日のように僕の頭のかたすみに「○○と私」がありました。私もHさんと同様○○にいったい何を入ればいいのか、入れても自分との関係があるかと寝るのも我慢して(嘘ですけど・・・)考えていました。「神様と私」 「四日市サレジオ志願院と私」というネタは思いつくのですがどれもピンときませんでした。 
 結局、私が○○に入れたのは「子ども達と私」について書こうと思いました。

 私は、四日市の志願院に入学してから今にいたるまで様々なところで司牧活動をしてきました。月1回の三重県の教会での司牧、年3回行われる奈良県での司牧。その他、様々な司牧の経験について語りたいと思います。

 私が入学した中学1年の時は、司牧活動に参加しない一年となりました。翌年からはメンバーに加わり司牧に参加しました。けれども、自分から進んで子ども達と遊ばなかったり、話しをしなかったりせずに先輩のあとをついていました。しかし、そんな事ばかりは出来ずに子ども達の前に出て話すのですが、上手く説明が出来ずに頭の中が真っ白になってしまいました。そして、何を行ったらいいのか分らずに困っていると子ども達は容赦なく「何すんの?」「早く遊ぼうよ」と言ってきます。初めての私は、心の中で子ども達に頭を下げたいぐらい情けない気持ちになりました。けれども、濱崎神父様や田村神父様が教会に来ると物事が全てと言って良いほどスムーズに進んでいくのでした。私自身も「何であんなにスムーズに進んでいくのだろうか?」と疑問に思いました。確かに長い間子ども達と関わっている人達なので素人の私たちでは、とうてい太刀打ちが出来ません。が、私たちにもできることはないのかと考えました。私はそこで「積極的に子ども達と関わろう!!」と思ったのです。というのは、積極的に子ども達と関わらないと子供たちも心を開いてくれないんだと思ったからです。今までは、向こうから来るのを待っていたと思うのです。そうなればもうこっちも勢いでした。積極的に司牧に参加すると子供たちも名前を覚えてくれたり一緒に遊んでくれたりしました。しかし、子ども達は、慣れてくるとすぐはっきりに言います。「ウザい」 「嫌だ」・・・etcなどなど強烈なボディーブローが飛んでくるような時もたびたびあります。

ところで、志願生たちの中でも野尻湖聖書学校を通して志願院に来た人たちは多いです。私もその中の一人です。では、どうしてサレジオ会の先輩方や現在、志願生である私たちが聖書学校を通してサレジオ会に入るようになったのか・・・。それは、当時のリーダーや神父様方になんとも特別に惹かれる魅力があったのだと思います。だから前に述べたように濱崎神父様や田村神父様が教会学校にくるとスムーズに進むというのはこういうことではないのかと思いました。こういう魅力に惹かれた青少年達がまた、同じように聖書学校いう場で子ども達に惹かれる魅力を出して、それが何年も続いているんだなと思いました。

 残念な事に今、若い人たちが教会離れをしています。教会離れをしてしまう理由はいろいろありますが、一つの理由に「子どもと遊ぶ機会」が減っているのではないかと思います。私たちが司牧に行くと、普通の主日のミサでは参加したくないけど、サレジオが来るなら行こうと言ってくれる子どももいると聞きました。それはなぜでしょうか?子ども達と一緒に遊ぶだからだと思います。また、子どもほど素直で人に対して物事を率直に言ってくる人はいないと思います。だから、子どもの一言、一言が私達が忘れていた何かを気付かせてくれるかもしれません。私も今まで悪戦苦闘しながらやって来ました。そしてこれからも同じように悪戦苦闘するでしょう。しかし、子ども達と共に学んでいかないといけないなと思ってもいます。

 子ども達・・・それは私達に元気と勇気、また、大事な事を教えてくれるかけがえのない友達と思うからです。



編集後記

 遅くなりましたが、『四日市だより』第53号をお届けします。ご覧のとおり今号は、この夏の報告が中心になっています。

 志願院では、この夏もあちこちに出かけました。志願院の2台の15人乗りハイエース・コミューターは、特に夏の時期、「移動志願院」としてフル稼働状態になります。私も、今年新設されたばかりの中型免許を取得し、ドライバーの一員に加わりました。

 志願生たちは、訪問した先々で、心のこもった歓迎を受けました。こんなにも各地で歓迎される中高生は、どこを探してもなかなかいないのではないでしょうか。志願生たちも、自分たちに対する期待の大きさをひしひしと感じてます。訪問先で感謝の気持ちを込めて、コーラスを歌う時、歌声が特別に優れているわけではないのに、皆さんが涙しながら聞いてくださることに、志願生たちは、教会の中で自分たちの存在が特別な証となっているという自覚を新たにしているようです。

 イエスは弟子たちに「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10:8)と言われました。歓待を受け続ける志願生たちは、歓待する人に成長するように招かれています。志願生たちがその招きに応えながら、この志願院という恵みがいっぱいの場所で、おのおのの召命を選び、深めていくことが出来るよう、これからも皆様のお祈りとご指導をよろしくお願いします。

 ちょっと気が早いですが、よいクリスマスと新年をお迎えください。

(岡本)


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