「神さまが必要だと思わないんだよなぁ〜。信じていても特に何か御利益がある訳じゃないし…」って、最近、世間一般の人から聞いたセリフ……。でも、これって21世紀に始まった事でもないのかなぁ〜?!「神に仕えることは虚しい。たとえ、その戒めを守っても…何の益があろうか」(マラキ3:14)って旧約時代からあるみたいだからねぇ…。
だから、人々が宗教に求めるものも、単に「しるし・見返り」と「自分の益となる為なら神を信じる」というだけ……だから日本人のお願いも「家族が安全でありますように(家内安全)」「仕事がうまくいきますように(商売繁盛)」「健康でありますように(無病息災)」と私事と身内のお願いだけですよね!でも、それって今日の福音に出てきた、ナザレの人たちと全く同じ姿勢なんだよなぁ!イエス様が、自分たちに都合のいいことを言ってくれない!身内の利益になることはしてくれない!…「そんな、当てにならないような奴は、町から追い出して、崖から突き落として殺しちゃおう!」っていう算段。つまり「私事と身内の都合に神様の方こそが合わせてしかるべきでしょう!」っていう発想なんですよ。
だからこそ、特にこの四旬節中、神さまがお望みになる事に自分を合わせていく生き方。神さまからのお願いにこそ、「私を使って下さい」という姿勢を実践していきながら、自分自身を全部、神さまに方向転換することこそが“回心”じゃないんですか???だから、私たちが神さまに方向を定めている時って、得てして私事・身内のお願いではなく、特に自分の周りで困っている人や、苦しんでいる人、辛く悩んでいる人の事を思い起こせているんですよね。そして、人の幸せを祈りながら、「“私”の祈り…」ではなく、「“私たち”の祈りを聞き入れて下さい」って祈っているんですよ!!!全ての人、特に緊急を要するハイチやチリの人たちの御利益を願い、祈り、自らもそれに向けた具体的な節制と犠牲という生きた実践を、共に四旬節期間中に励んでいきましょうよ!
FR.NAO