福音書の中で登場する律法学者たちやファリサイ派の人々は、大きな役割を果しています。彼らは学者であり、宗教指導者です。イエスが、彼らの教えは本質的に間違っているとは言われず、言うだけで実行しないから、彼らの行いを見習うなと強調された点に注目してください。つまり、彼らは口先だけで偉そうな事を語り、行いと心は一致していません。このような指導者の姿勢は、人を引き寄せる力もなく、つまずきの種となっています。
イエスは群衆に語り、教えられる時はいつでも、ご自分がなさり、本当にイエスが地上でしておられること以上の事を人々には求められませんでした。イエスは言葉と行いをもって教えられました。イエスはご自分の力と影響力を乱用せずに、謙遜な姿をとり、弟子たちの足を洗い、僕の最も低い仕事をなさいました。主は仕えるために来られました。自分の弟子達に求めている事を自分から進んでするのが真の指導者なのです。
最後に、イエスが、私たちと神との関係、他の人たちとの関係の土台は愛でると教えられた時、イエスは完全に神と人とを愛しておられました。イエスが十字架の上で死んで下さったのです。信じ難い事かも知れませんが、神は、イエスが地上におられた時に示された無償の愛と奉仕の人生を私たちが生きる事ができるようにしてくださったのです。
Fr. Tadeusz