エステルが陥った出来事のようなことはまれかもしれませんが、私たちの人生には自分の力ではどうすることもできないことがよく起こります。その時、私たちはどうするでしょうか。
福音書では、神様を子供に良い物を与える人間の親の姿としてとらえています。子供が欲しがるならば、どんな親でもどんなことをしてでも与えようとします。神様の姿としては不足していますが、身近な例として取り上げています。そして神様は望む以上のものを与えてくださいます。エステルは先祖からそのことを聞いて育ちました。だからじっと待っているのではなく、自ら自分の意思を表明し、神様に願ったのです。このエステル記の続きには、エステル自身が神様の加護を願って、生命をかけて王様に掛け合い、民族の生命を救います。
エステル記を通して、あるいはイスラエルの民の歴史を通して、私たちは自分の信仰について問い直さなければならないかもしれません。
信仰は「信じること」だけでは足りません。信じているのであれば、行うことができるはずです。イエスやイエスの弟子たちも同じように語っています。いつも「求め、探し、たたく」ことが大切なことなのです。
そうすることで、私たちは様々な危機を乗り越え、永遠の生命への道を歩むのです。
POOH