「収穫は多いが働き手は少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい」
今、私の担当している教会で、毎週日曜日ミサの最後に「召命のための祈り」をみんなで一緒に唱えています。そのおかげで召命推進の意識が少し高まったように思います。つまり多くの信徒が召命のために祈ることがいかに大事かということが分かってきたということです。
たしかに今日の福音でも、イエスは私たちに収穫(宣教)のための働き手を送ってくださるように神に願う(祈る)ことを求めています。しかし、ここで言う働き手とは、司祭や修道者のように、自分の生涯をかけて宣教のために働く者だけをさしているのではないと思います。
宣教の使命は、すべてのキリスト者に与えられています。ですから神は収穫のために司祭、修道者だけでなく、信徒にもその働きを求めておられるということです。そう考えますと、信徒の方々は、司祭、修道者の召命のために祈るとともに、自分自身も福音宣教の担い手の一人であるいうことを自覚しなければならないと思います。
そしてより多くの信徒が自分に与えられた使命を自覚して、それを果たせば、神は「働き手は少ない」と嘆かれることはないのではないでしょうか。
NICCHI