今日のルカの福音において、安息日と病気の癒やしが秤にかけられます。当然、病気の癒やしの方がずっと重い、と私たちのほとんどは思うのではないかと思います。この時、私たちは当事者ではなく、傍観者としてこの物語を見ています。
さて、この物語に似ている状況は私たちの周りにないでしょうか。私はまだ当事者としてではないですが、比較的間近に体験している、一つの矛盾というか、自分の限界を突きつけられているものがあります。それは、歌舞伎町などにいる援助交際をしている女の子たちのことです。私の知り合いの女性は、もう何人ものそういう女の子たちの話を聞き、様々なことに一緒に向き合いながら、彼女たちのために出来ることをしています。そんな中で、本当に今晩寝る所がなくて援助交際しようとしている18歳以下の女の子を自分の家に泊めることがあります。ここに問題が生じます。未成年者を親の許可なしに泊めた場合、誘拐罪として訴えられる危険があります。彼女の場合、必ず、親に「友達のところに泊まる」と電話させているようですが、そうもいかないこともあります。今その子を守ることと法律によって訴えられるリスク。この二つを秤にかけることになるわけです。イエスならどうされるでしょうか?答えは分かっているのですが、私たちはどういう選択をするのでしょうか。
イエスの生き方と自分たちの答え、そして自分たちの行動。これらを一つにしていくことはとても難しく、覚悟のいることです。福音を生きること、イエスに従うことをもう一度見つめながら、今の各自の状況で同じようなことはないか、まず探してみる必要があるでしょう。そして、その次に来るのが、自分がどう生きたいと思っているか、です。神の助けを願いたいと思います。
John Goto