神の前で義とされるのは信仰によって生きる者だけです。その人の内には神が共におられ、住まわれています。ただ、神から与えられた律法を守りさえすれば「義」とされるとするのは、間違いです。
イエスは再三再四、そのことを指摘してきました。神様は私たちに何を与えようとされたのかをもう一度考えてみることです。
「よいサマリア人のたとえ話」のように、私たちは様々なしがらみに縛られて最も大切なことが抜けていることがあります。それは神と共に生きているとはいえません。
イエス・キリストの教えによって、そういうしがらみから解放され、神と共に生きることに専念しましょう。私たち罪人の回心は、神から与えられる大いなる恵みです。
日々、その信仰を新に、そして深めていきましょう。
POOH