聖書に、イエスが大声を上げられたという記述はそんなに多くはありません。ですから、十字架の上で御父に向けた叫びや、ラザロの墓前での呼びかけなど、その一つひとつが印象的です。今日の福音でも、イエスは大声で人々に語りかけます。「聞く耳のある者は聞きなさい!」この言葉に込められたイエスの気持ちを汲むことができなければ、私たちは永遠に「聞く耳を持たない者」であり続ける可能性があります。
人の犯し得る罪のうち最も卑劣であるのは、気付いていない振りをすることではないでしょうか。良心の声に・苦しむ人の叫びに・自らの怠りに・与えられた悔い改めの機会に…気付かない振り。ひとりの人が、これらのことに気付かない振りをするということは、全能であるはずの神が、人の自由を尊重されるあまり、その人に対して無力に留まるということに他なりません。自ら不幸になることを選び取っていく人を目にするときの、イエスの心の痛みは如何ほどであるか。どれほどの期待を込めて「聞きなさい!」と強調しているのか。それにすら気付かない振りを続けるとしたら、もうなにも残りません。
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