幼稚園の子供が十字架を見て「NAO神父様…イエス様、痛いんだろうね……どうやったらイエス様は痛い顔をしなくなるの?」って……!だから…「そうだねぇ…。イエス様は僕達みんなが仲良しになって、○○君もお友達を大切にしていきながら、イエス様にきちんとお祈りすれば、イエス様は絶対に痛い顔をしなくなるよ」と言うと、「うん。じゃ、そうする!」と真剣な表情になっていました。
僕はこの子供の質問と受け答えに十字架称賛の本質を見たような気がしました。さて、皆さんは十字架を見つめて何を感じますか?
イエス様は、@「互いに愛し合いなさい」と人に対しても、A「救いは神を畏れる人の上にある」と神様の御前でも、B「先ず神の国と、その義を求めなさい」とこの世の社会の中で、私たちの誰一人として“痛い思い”をしない(=これこそが滅びないって事!)ように、代わりに十字架上で“痛い思い”をして下さいました。だから、私たちが十字架を褒め称えるって言うのは、まさに洗礼によって救われている私たちなのですから「イエス様、痛い思いをしてくれてありがとう。神様の事を思い起こし、きちんと毎日祈りを奉げますね…。そして、イエス様の愛の掟を自分のすぐそばにいる人に今、実行していきます!そして神様の心が実現していくような、正しい働きを実践します」と感謝のうちに、喜びをもって生きていくことだと思うんです。
だからみんなで、イエス様の十字架を褒め称えられるような生き方をすれば、自ずと一人も滅びる人なんて生まれやしないし、みんなが永遠の命の先取りを、この世でも享受することが絶対に出来るんです。
FR.NAO