今日の福音は「人を裁くな」という文脈の中で語られています。つい周りの人を裁いてしまうということは誰にでも経験があることでしょう。裁くときに基準となるものが「義」です。正義と言ったほうがいいかもしれません。
イエス様が「裁くな」とわたしたちに言われるとき、問題はどこにあるかというと、わたしたちが当てはめる「義」にあると思います。わたしたちはどうしても「わたしたちの」義を当てはめ、人を裁いてしまうのです。しかし本当の義は「神の」義であるはずです。だから裁く方は神おひとりなのです。その意味でわたしたちは盲人であるし、おが屑と丸太の区別もつかない者たちです。そのため、わたしたちは本当に目の見える人、おが屑と丸太の区別を教えてくれる人が必要です。それはイエス様にほかなりません。
聖書は、わたしたちがイエス様のように「神の義」を理解するようになれると言っています。「まず神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)とありますし、「だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる」(ルカ6:40)のです。わたしたちは「わたしたちの」義に縛られた者たちではありません。イエス様はわたしたちを変えてくださいます。忍耐強くイエス様に従っていれば、わたしたちもイエス様のように考え、話し、行い、罪びとを愛することができるようになるのです。イエス様が生きたように神の義を生きる者と変えられるのです。
DISUKE