イエスは安息日に右手の萎えた男の人を癒されました。律法学者やファリサイ派の人々にとって、それはイエスを非難する格好の理由になります。ユダヤの律法によれば安息日には一切、労働をしてはならないことになっているからです。人を癒すのも労働にあたると彼らは考えているのです。当時の律法によれば、安息日には仕事をすることはもちろんのこと、料理もだめ、旅行も一切だめで、この日に歩いてよい距離の限度も決まっていました。
イエスはこういった安息日の掟に対して真っ向から反対するという立場をとっているわけではありませんが、彼が一番心にかけていることは、悩む人や苦しむ人に救いを与えるということでした。安息日であろうとなかろうと、そこに病で苦しんでいる人がいれば、イエスは救いの手を差し伸べられるのです。イエスは掟や制度ではなく、何よりも一人ひとりの人間を大切にされるのです。このイエスの態度は、今日の私たちの社会に対しても大切な示唆を与えているのではないでしょうか。
鈴木英史