ペトロが純粋に疑問を解消したいと思っていたなら「…何回までですか」という問いで充分。「7回までですか」という件(くだり)は不要です。おそらく、イエスに褒めてもらおうとしての発言でしょう。イエスの回答は、それを察してのことではなかったでしょうか。
さて、1万タラントンを借金している弟子のたとえ話が持ち出されていますが、1万タラントンというのは164,000年分以上の賃金です。よくこれだけ借金できたなぁと思います。貸す方も貸す方です。イエスは、このような途方もない数字を引っ張り出してきて、尚平然と話を進めます。それも、貸すだけでも大変なことなのに、更に、それを帳消しにするほどの寛大さについて語ります。ひょっとしたらこの王様は、はじめから、取り立てる積りなど無いのかも知れません。
このような寛大さを味わったにも拘らず他人に寛大になれない人など、果たしているのでしょうか。しかし、現実に私たちは他人に対してそれほど寛大になれないものです。なぜか。気付いていないからです。如何に途轍もない寛大さで赦されたのかを知ること。ここを出発点とするために、神の愛について黙想しましょう。
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