『サムエル記下』12章に、ダビデ王が部下の兵士ウリヤの妻を奪ったうえにウリヤを戦士させたことに対して、預言者ナタンが王を叱責する話が記されています。ナタンの話のなかに人間が小羊を自分の娘のように養う場面があります。聖書では神とイスラエル人の関係をイメージするものとして羊飼いと羊を用いています。「羊飼いは羊のために命を捨てる」ということばや「失った1匹の羊のたとえ」など羊飼いの羊に対する愛情は人間に向けられた神の愛情を想起させるものです。
今日の福音書では羊飼いが門から入ると羊はその声を聞き分けて、羊飼いについていく、羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出すという羊飼いと羊の親密な関係を描写しています。その意味するところは明確です。ここで注目したいことは「羊はその声を聞き分ける」ということばです。
羊が安全に牧草地まで羊飼いに連れて行ってもらうためには、「聞き分け」ないといけないのです。「その声を知ってい」ないといけないのです。これをそのまま神と私たち人間の関係に置き換えると、私たちは神の声を聞き分けること、神の声を知っていることが、私たちが救いに導いてもらうために必要なことになります。
情報が氾濫するなかで、毎日の喧騒のなかに、私たちが神様の声を聞き分けるために、私たちは一人ひとり何をするべきなのでしょうか。神の声を聞き分けること、その声を知ることができるように日々の生活で聞こえるさまざまな声を意識して聞くようにしたいものです。
T.K