荒れている湖の上で心細く、不安になる弟子たち。悠然と湖を歩くイエス。このコントラストを私たち自身に当てはめてみる。
人生いろんなことがある。いいことも、悪いことも。楽しいことも、辛いことも。予期していたことも、予期せぬことも。
でも、一つだけ、確かなことがある。それは。「わたしだ。恐れることはない。」と言ってくれる方がいることだ。そして、不安で自分(の苦しみと喜び)しか見えなかった私の上にその時、光が差し込み、こころの荒れもおさまってくる。
イエスを私の船に招きいれよう。そうすれば、行くべきところにきっとたどり着ける。
Juancito
イエス様を船に迎え入れたら、「船は目的地に着いた!」って言うけれども……イエス様の目指した(=イエス様の弟子たちが目指す)目的地ってどこなんでしょうねぇ〜???
昨日の福音を読むと、イエス様は5000人に食べ物をお与えになった後、人々の間から逃げて山に行きますよねぇ。なぜって…???それは……ユダヤ人たちが「むりやりに」、イエス様を自分たちの(政治的な権力者としての)王にしようとした(6:15)からです!つまりイエス様は、この世の政治的権力や経済力で物事を図ろうとする人間の思惑から逃げられ、神様のやり方をもって、全ての人々が神様に向かっていけるような目的地に続く道を辿ろうとしたのでしょうね!その神様のやり方って言うのが、「愛・柔和・謙遜」………。
私たちも、この世的な発想より、イエス様が望まれるやり方で、神様の望みを果たしていきたいですよね。けれども、イエス様の弟子たちが、イエス様の言われた通りに船出しても、待ち受けているのは「強い風と荒れた湖」に象徴される“困難=人生の嵐=十字架”です。けれども、イエス様のやり方の実践を「恐れること」なく迎え入れ、共に目的地への道を辿っていきましょうね。
FR.NAO