今回は、マグダラのマリアについて考えてみたいと思います。ヨハネの福音書では、「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った」(20,1)と記されています。ここではマグダラのマリアひとりだけ登場します。少なくとも彼女の名前しか出ていないです。そして、「墓から石が取りのけてあるのを見た」とあります。マグダラのマリアは中に入らないばかりか、のぞきもしないで、ぺトロのところへ走って知らせに行きます。
御復活された主に最初に出会ったのは使徒ペトロではなく、マグダラのマリアです。主は彼女にご自身をお現しになりました。既に、イエスは以前に彼女から七つの悪霊を追い払ったのです。彼女は数多くゆるされており、主が大いに愛していたからです。誰よりも一足さきに敬意を表すために、彼女は最初に、墓にいました。残念な事に、弟子たちは主が復活されたという彼女の自己主張を全く信じませんでした。イエスは使徒の不信仰と頑固な心のため彼らを叱らなければなりませんでした。弟子たちは復活された主を肉眼で見ていなかったから彼女の言う事を簡単に信じなかったのです。
マグダラのマリアは単にメッセージに注目するだけでなく、メッセージを送って下さる方に注目することです。マグダラのマリアは自分の名を呼んでくれた園丁に注目したのです。そのおかげで、主の臨在に気づき、ついに、イエスを見る事になるのです。イエスは彼女に言われます。「私にさわってはいけない」とあります。イエスは、今後わたしは別の世界に属します。私は栄光の状態に入るが、さらに再び来るという意味です。ただ、兄弟のところに行って「私はあなたがたの神のみもとに昇って行く」と彼らに伝えなさい。前に肉であったが今は霊になったと言うことです。イエスは全面的に霊化されて再臨されているという事です。特に聖体のうちに、ここで命のパンに関する主の説教を想起すべきです。
Fr. Tadeo