週日のみ言葉と福音朗読

今日の『み言葉』(聖書朗読箇所)をよく噛んで、ゆっくり味わいながら頂くように致しましょう。
 
『み言葉』はリンク先「今週の聖書朗読」で読むことが出来ます。どうぞご利用下さい。
 
 
音符のイラストのところをクリックすると、朗読を聴くことが出来ます。
 
朗読者:石川裕美
72      四旬節第4月曜日 ヨハネ 4・43−54
 『預言者は自分の故郷では敬われない』と分かっていながら、イエスは敢えて故郷ガリラヤに行きます。「う〜ん…何で?」と問いかけたくなりますね。聖書の原文によりますと44節には理由を表す接続詞『ガル』と言う言葉が挿入されているそうです。この言葉を踏まえると『尊ばれないと分かっていたので行った』というニュアンスになるようです。“敬われないからこそ、そこに神さまの愛を伝えないではいられない”と言う、イエスの宣教への心意気!はたまたイエスの姿を通して示される神の愛は、どこに優先的に表されようとしているのかを考えさせられます。ところが、ガリラヤに着くと……人々から大歓迎ムード!!!何だか拍子抜けです…。「一体、彼らに何があったの?」と思いますよね。
 45節の冒頭に「そういうわけで」と言う帰結を表わす副詞『ウーン』と言う言葉が挿入されているそうで、以下の理由で人々はイエスを歓迎したようです。それはエルサレムでイエスが行なったしるしを見て心酔したと言う浅はかな歓待ムードだった訳です。
 それに対するかのように、福音はガリラヤのカナで、イエスのもとにカファルナウムから、はるばる約33kmの道のりをかけてやって来た王の役人を登場させます。でも彼もイエスから尋ねられています。「(あなたも)しるしや不思議なわざを見なければ決して信じない」くちではないの?と……。それに対して、王の役人はイエスに「おいで下さい」と要請はしますけれども、イエスが言われた言葉をまるごと信じて帰っていきます。
 “見て”信じようとする人…、神の言葉そのものを心底“信じて”いこうとする人…。見えるものにしか、信頼を置かない現代の風潮にあって、イエスがトマスに言われた「見ないで信じる人々は幸い」ということや、百人隊長がイエスに「お言葉だけで十分です」という箇所とリンクさせて、私たちも真に“信じる者”となっていきたいですね。
FR.NAO
 
四旬節 第4月曜日 ヨハネ4・43−54.mp3
 

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Last updated: 2015/8/19